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楢葉町長選大詰めの攻防。 

 現職に対抗する予定候補者の講演会ニュースの最後の4号を発行して、政策はこちらとしては出そろった。

 相手現職は、国や県との仲の良さ(パイプの太さ)を強調していたのだが、ここに来て急にこちらの政策を意識した主張が目立つようになってきている。

 私が言いたいことはエコテック最終処分場の受け入れの撤回なので、そのことを政策の中に入れることが出来たので、後は最後まで気を許さずに詰め切ることが大事ではないかと思っている。

 ところで、現町長は危機感の表れなのか、原発関連の下請け孫請けなどの作業員の住民票を楢葉町に移しているという噂が出ている。

 流石は、「楢葉町民も帰る人は何をしても変えるが、帰らない人は何をしても帰らない。」と豪語しているのだから、多くの住民を帰そうという考えそのものがないのだから、町外の人間に的を絞っているのであろうか、今後は楢葉町の行政は町民を度外視したやり方になっていくのであろう。

 帰らない子供を通わせている仮設学校は、来春で閉校するというから、帰らない住民のことは完全無視である。

 避難解除も帰りたくても帰れない住民までも無視して解除の受け入れをするから6%の住民しか帰らない。

 上繁岡・繁岡という最終処分場受け入れの現地行政区では、何人もの住民が帰還を諦めていわき市などの家を新築したり、買ったりしている。このままいけば楢葉町は元々の住民不在の町に変貌していく。

 来月7日に町長選挙は告示され、17日に投票を迎える。町民はどちらに町の将来を託すのであろうか。
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被害者に寄り添うことの意味。 

 福島の昔の知り合いが、様々なニュースを編集してニュースを送ってくる。

 福島県での甲状腺の2巡目の検査で新たに甲状腺ガンと判定された人たちのことをニュースにしている。

 見出しに「泣き叫ぶ」という言葉を使い、ショッキングに伝えている。ただし被害者の会を立ち上げた人には一言の断りもないという。

 各地で放射能被害の問題で、ショッキングなニュースを取り上げる人たちがいる。

 気になるのは、自分では何もしないのに、あたかも自分がその中心であるかのように振る舞う、という態度が見え隠れしていることである。

 そういっては何だけれど、そういうことを探して自分のニュースとして喜んでいるように見えるのは私の偏見であろうか。

 自分では何もしないのに、「放射能でこんなに被害が出ている。それ見たことか。」と・・・

 例えば被害者の会を自分で関わって組織したのならそれもいい、しかしそういう人は面倒くさいことはやらないで、そういうニュースだけをショッキングに表現して伝えることが気になるのである。

 被害者と言われる家庭内を想像してほしい。自分の子供が甲状腺がんに罹患したら、ショックと「誰にも言えない」という葛藤の中で相当に苦しむはずである。だからそういう人たちの心情を理解して慎重の上にも慎重にしないと被害者からはそっぽを向かれてしまう。

 被害者が感じるのは「自分たちを利用しようとしている」ということである。

 前述の事例は、そういうことを被害者に思わせるに十分な危険を孕んでいるということなのである。自分でできないことは自分がやったようには書くな、と言いたい。

津田敏秀さんと鈴木元氏との対談。 

 予想通りの展開であった。

 「甲状腺がんの異常な発生は原発事故の放射能のせいとしか考えられない」という疫学的な見地から主張している津田敏秀氏と「チェルノブイリの経験からもこの程度の放射能汚染では、甲状腺ガンの発生はあり得ない。」「栃木県北部でも検査をすればむしろ問題ないものまで発見されて余計な苦労をする。」と主張する鈴木元氏(栃木県放射能健康影響に関する有識者会議座長)とのバトルを企画したのだが、まったくかみ合わない議論のまま終了した。

 当たり前と言えば当たり前なのだが、鈴木元氏は医者であり放射線のことを調べてきた人間で、津田敏秀氏は、疫学研究者だから、議論がかみ合うわけがないと思っていたが、案の定であった。

 会場は放射能のことを心配する人たちが多く集まっているので、津田敏秀教授への評価が高くなるが、かといって鈴木元氏が特別間違っていることを言っているわけでもない。どちらも苦手なことはあまり触れていない。

 私がそれを感じたのは、福島県の甲状腺検査で、1巡目で115人が甲状腺ガンが見つかった時に「今までのない広範囲の検査をしたことと、機械の精度の向上がスクリーニング効果となって、多くの甲状腺ガンが発見されたのであって、放射能のせいではない。チェルノブイリでも4~5年後から出ている。こんなに早く出るわけがない。」というのが国の見解であったが、2巡目では2年後から検査を始めたが、半年の検査で51人が新たに甲状腺がんと診断されたことは、スクリーニング効果では説明がつかない。

 津田教授がそれを指摘したが、鈴木元氏はそのことにはまったく触れなかった。何故触れないのか、それに触れるとスクリーニングの話をした鈴木元氏の主張が根底から崩れるからである。

 この2巡目で、1位巡目で甲状腺異常がでなかった人たちから甲状腺がんが多発していることに、「放射能のせいではない」と言っている人たちから説明が欲しいのであるが、しない。ここが今のポイントだと思う。しかし個々の議論が全然かみ合わないのだから、何だかなんのための”対談”だったの?となったのである。

 結局聞いている人たちは「何もわからなかった」ということが分かっただけの講演会ではなかったか、と思う。

小出裕章さん講演会アンケート結果。 

 約200人位の聴衆のうち、60人がアンケートに答えてくれた。

 前回の那須塩原市の時でもそうであったが、小出さんの講演会の中身は当然にして多くの聴衆の人たちに、気付きと感動を与えるものであった。

 小出さんの後援のポイントは、知識を与えることではなく、「あっ! そうだったのか。」という気づきを聞いている人に与えることにあると思う。それが今回も同様であり、感想の中の主体はそういうことであった。

 それで、アンケートで私の総括のポイントは、どういう聴衆者がきてくれたか、というところにある。今回はそこに絞って総括してみたい。

 まず、何故講演会に来たか、という問いに、「友人・知人からの声掛け」というのが60人中33人ほどがあった。次に多いのがポスターを見て、というのが22名、残りがインタネット3名、新聞が2名であった。

 今回の実行委員会の動きはすこぶる悪かった。言うのもなんだが、ポスター貼りを集中的にやったのは、ほぼ私一人である。(約100枚)新聞に依頼したのも私だったので、それだけで25名が来場したことになる。それを200人に当てはめると、約67名の来場者が、ポスター及び新聞を見て、となる。

 友人・知人に言われ、というのが残りの大半なので、一般の人に呼びかけなければ130人位の来場者ということになる。

 つまりこの種政治的な問題での講演会は、この地では130位しか集まらないということになる。

 もっと広げたいと思ったら、もっともっと広く呼びかけないと集まらないし、呼びかえれば集まるのである。

 だから問題は取り組みをする人たちが、自分の殻の中にだけしか呼びかけをしない、という体質が悪いので、一般の人が来ないわけであって、呼びかければ来るのである。
 
 この革新と言われている人たちの、保守性が人を集められない原因である。だがそういう人たちは「この辺の人は保守的だ」と自分をさておいていうものだから始末が悪いのである。

小出裕章さんの講演会終了。 

 聴衆の数は200人程度で、予想外というか予想通りだった。

 講演会としては、この種の講演会だと”その道”の人たちの集まりの感が強いのだが、勿論そういう人も多いけれど、若い人たち、”その道”の人とは思えない人たちが小出さんの話を聞きに結構来てくれていたことは、講演会をやった意味があるのかな、と思った。

 福島原発事故から5年になるという時間的な空間が、この地の人たちに「慣れ」と「あきらめ」を生み出しているのかな、ということもある。

 質問時間に多くを割いたが、小出さんはいつものように、一つ一つの質問に懇切丁寧に答えていたが、一人のお母さんが「これからは何を気を付けて子どもを守って行ければいいか。」と質問してくれたのはとてもよかったと思う。小出さんはそのことに対しても丁寧に答えていた。

 小出さんの人柄が質問に対して答えるときの出る。講演会でも勿論そうなのだけれど、一つ一つの話を兎に角丁寧に話すその姿勢に、多くの人が惹きつけられる。

 小出さんの講演会の大きな特徴は、知識としての話ではなく、考え方への問題提起になっているところで、「小出先生の話を聞いて自分のこれまでの生き方を反省した。」という声が多いのが他の講演会とは違う所である。。

 アンケートには③分の一ほどの人が答えていた。別な機会に紹介したい。

今日は小出さんの講演会。 

 今まで晴天が続いたのに、長期間準備をしてきてよりによって今日が雨とは。

 などと口説いても、努力で転機を変えられるものではない。だから覚悟を決めて講演会を成功させるために努力するのみである。

 よりによってというのは他にもある、実行委員長が40年来の付き合いの友人が亡くなって、弔辞を頼まれ、加えて遠くから訪れる人たちに”その場”での対応を頼まれ、どうしても抜けられない、という。それで、実行委員長の挨拶をどうするか、司会をどうするか、など緊急的な対応策を考えねばならなかった。

 事務局長が携帯電話を持っていない。だから肝心な時に何の役にも立たない。加えて自宅の一般電話が故障中と言う、直す気配もない。

 それでも当日の会場準備位は何とかしてはくれるのだろうが・・・

 実行委員長の挨拶の内容を考えて、副実行委員長に手渡して、実行委員会を代表しての挨拶の準備は整い、司会の話す内容まで私が考えて渡して準備をする始末。

 ポスター貼りは、実行委員会は経験がないようで、大半を私がやることに・・・

 困るのは、何もしないのに”言うことだけは言う”という人が多く、注文付けられるが、行動力はほぼ無くて、自分たちの殻の中から一歩も出ないということである。これで「この辺の人は保守的だ」と批判するのだから始末が悪い。保守的なのは、自分の殻から一歩も出ようとしない実行委員そのものなのであるが気づかない。

 さーそれでもどれくらいの人が講演会に来てくれるのか興味はそちらにある。

 問題点の総括は事後の実行委員会総括会議で問題提起をしていきたい。

甲状腺ガン被害者の会の結成。 

 甲状腺ガン被害者の会結成のニュースがニュースステーションで取り上げられた。

 以前から多くの人が熱望していたことなのだが、「他の人に知られたくない」という保護者の意識などが障害となって中々結成が出来ないで来ていた。

 共産党と言うのは、福島県では福島医大と非常に(異常に?)近く、(そう思われている。)「不安を煽る」などと消極的な態度であったこともあるし、甲状腺ガンの問題では全然表には出てきていない。

 社民党の人が陰になり表になって努力したことが功を奏して、被害者の会の結成までにこぎつけたという状況である。責任者は私が2か月に一度のペースで一緒に学んでいる仲間である。

 中通から4名(4家族)浜通りから1名(1家族)が立ち上がっている。

 甲状腺ガンと診断を受けた本人や家族は「何で自分の家にくるのか」と不安は相当に深刻と思う。どこにも誰にも言えなくて苦しんでいた人たちが多いであろう。福島県内の甲状腺ガン患者総数は166人(166家族)に上る。

 被害者の会が出来た意味は大きい。これから様々に被害者家族の声なき声を代弁して様々な活動が出来る。支援し共に活動していきたい。

那須塩原市新市長との懇談 

 那須塩原 放射能から子どもを守る会で、午後2時半からの予定で那須塩原市の市町が新しくなったので、甲状腺問題での懇談を持った。

 30分の予定だったが、10分程度早めに始まったので終了時間もちょっと早めに終了したのだが、前の市町とは違って、自分ばかり話すということはなく、私たちとしても言うべきことは言ってきた。

 代表からは「市民が陳情を出して議会で採択されたのはほかになくて、注目されている。」ということと、「首都大学の先生から那須塩原市の住民のことを調べているので、その先生が市長に会いたいと希望している」「住民の不安を取り除くことが目標」などということを中心に話した。

 私はそのことを補助する立場で発言した。

 市長だけでなく市の幹部も同席したし、市町はそれほど積極的に話をしなかった。前の市町よりも市の中に一体感があった感じがした。

 ただ市長は、① 「本来は国がやることだ」 ②「放射能汚染は終わったとは思っていない」「期限はわからないがずーっと続いていく」という認識を話した。

 やっぱりな。という感じである。ここ高萩市でも「国のやることだから市独自では考えていない」という見解だが、それと同じである。

 市長になったのは何のため?と思う。

 甲状腺検査をやるかどうかと言うのは、国やることと言うのは逃げの口上である。問題は放射能に汚染された那須塩原市の市長として、政治家としてどうするのか、ということに尽きるのである。その市長としての見解、を出さないで、「国のやることだから」と逃げるのであれば、市長など要らないのである。国の役人を出張させておけば済む話なのである。

 まったくどいつもこいつも、政治家としての責務を果たせないやつばかりである。

看板作りと資料印刷と。 

 10日は那須塩原市の市長との懇談があり、参加しなくてはならない。

 今回の課題は、市長が変わって、甲状腺検査のついて、以前は議会で採択されても「やらない」と明言していた前市長」が大差で落選したので、新しい市長になったことで、甲状腺検査をどうしていくのかやんわりと見解をうかがうことになる。

 「やんわり」というのは、最初からガチンコでいくとぶつかり合いになるとその後の展望が開けないからである。目的は行政として放射能汚染と甲状腺問題に取り組んでほしいから懇談を持つのだから、本来の目的を見失わないようにしたいと思っているからそうするのである。

 それとここ高萩市で小出裕章さんの講演会を19日に開くので、その準備をしなくてはならない。昨日は垂れ幕になる看板の製作をした。したというのは嘘で、製作を手伝ったのである。

 文字を書けるように特殊な紙を半日がかりで買いに行き、昨日はそれをつないだり線を引いたりの準備をして、字の上手な実行委員長に書いていただいたのである。1日がかりであった。

 今日は小出裕章さんのパワーポイントを印刷するために出かけた。14ページに渡る資料なので、これおも結局は1日がかりなのである。多分それを纏めてホチキスするようになるので、何人かで数時間かかるのだろう。

 11日は楢葉町町長選挙の中帳場。13日は友人が来る日、16日は那須塩原 放射能から子どもを守る会の座談会、

 そうこうしているうちに、19日はやってきて小出裕章さんの講演会が来てしまう。なんとか成功させたいと願う。

小出裕章さん講演会、保護者への宣伝。 

 いよいよ今月の19日に小出裕章さんの講演会が迫ってきた。

 今日は保育所と幼稚園の5か所にチラシを配って見た。何よりも、講演会の対象として重要な人たちである。

 残念なことに、託児の取り組みを提案することにためらってしまった。そのために、小さいこともさんをお持ちの保護者が来にくい状況になっている。申し訳がないと思う。

 この前の実行委員会で一人の実行委員から、「ポスターなんか貼るところがないから6枚くらいしかいらない」とか「どうせ集まらないからカンパはしっかりもらえ」とか後ろ向きな話ばかりされて、ちょっと感情的になったりもあったが、何よりも「やろう」という取り組みにしなくては話にならない。

 講演会に集まる人は高齢者と革新的な人だけ、というのが定番になっている。何故かといったら、集めようとする人たちがいつも来る人にしか声をかけないからである。

 考えてみたら、そういう人たちと言うのは講演会を聞いても「やっぱりそうだね。」という反応が多く、広がりはほぼない。だって聞いても他の人に広げようとしないからである。勝手に「言っても分からない」と決めつけているからである。

 多くの市民に聞いてほしいと思ったら、多くの市民に声をかけなくてはならない。当たり前なのだが、ほとんどそういう行動をしない。そうして自分たちだけ聞いて満足しているのであるから始末が悪い。

 だから講演会に限らず、そういう自らの殻を破らないと、どんな運動も広がらないのである。恰好なんかつけても仕様がないのである。
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