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楢葉町懇談会、国の説明。 

 今日はいわき市で楢葉町の避難解除に関する懇談会があるというので、1回目の懇談会に参加してきた。

 以前からそうなのだが、こういう懇談会と言うのは流れが大切で、最初の流れが変な方向に行くと、それを戻すのに苦労する場合があるので、機先を制するではないけれど、トップバッターで発言した。

 今回の懇談会は、国が避難指示を解除するための判断にするためのものなので、町当局と話す場合とはわけが違う。つまりは今回の事故の加害者になるわけで、その国との対峙であった。

 私は、そのことをのっけから攻めた。「説明が自分たちに都合のいいことばかりで、放射性物質が毎時1千万ベクレル今も漏れていることや、汚染水ダダ漏れ、それに木戸ダムの危険性に触れない(木戸川で釣れたイワナから1250ベクレルが検出されている。)」ということから始まり、楢葉町の復興と言う場合、第一に子供が帰還できる環境つくりが最も大切なことを訴えた。

 更に、楢葉町が全員一致で帰還することの問題として、「0.6マイクロシーベルト/毎時以上の放射線管理区域に該当するところが町内の16%くらいに存在する。労働安全衛生法で、①18歳未満の立ち入り禁止。②飲食の禁止。③就寝の禁止となっている。国が知らないとは言わせない。その放射線管理区域に子供を帰すと国は言っている。これは法律違反でないか、許されない。私たちはこういうことを許さず、一人の子供も犠牲にしないために努力していく。」と国に迫った。

 国の役人はICRPの国際基準を持ち出して説明しようとしたが、流石に説明がつかないことを察したのか、最後に「自分なら子供を帰しますが、皆さんが不安に思う気持ちは理解できます。」と言うしかなかったのである。

 私の追及は逃げられにくいものだったので、回答者のしどろもどろは、何だか聞いていても可笑しいほどだった。

 1時間15分ほどの質問時間で、私を含めて5人が発言した。大半が最初の流れの方向に行って、思惑通りで最初の目的は達成したのであった。




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那須塩原市 甲状腺検査に有識者会議座長がお忍びで・・・ 

 私たちの組織、那須塩原 放射能から子どもを守る会では、関東子ども健康支援基金(NPO法人)の支援を受けて、昨年から、18歳未満の子供を対象にした甲状腺j検査を実施している。

 昨年は173人が受診し、マスコミからも取り上げられた。各方面からも注目を集めたわけである。

 栃木県の放射能の健康影響に関する有識者会議は、「放射能汚染は心配ないレベルだから甲状腺検査も必要がない」という立場をとり続けている。

 我々守る会としては、様々に有識者が話す機会には、「保護者たちが不安を抱えているから、それを聞いてください。」という立場で意見を言ってきていた。

 しかしリスクコミュニケーションと国は言いながら、聞き入れようとしない態度に終始しているのが現状で、何とかそのことに風穴を開けられないか、と思案してきていた。

 今回2回目の甲状腺検査を実施するに当たり、市の方にも視察を申し入れたり、議員にも要請するのだが、有識者会議の座長にも振ってみたのである。

 そうしたら「お忍びで、個人的に伺います。」とはびっくりであったが、来ることになったのである。

 有識者会議と言うのは、国や県などの行政から任命された、いわゆる縛られた組織なので、座長が態度を変えるなど言うことは奇跡としか言えないが、しかし、現場に来ることに何のマイナスもないと思うので、面白い流れになってきたのである。

ADR取り組みの交流 

 昨日は、那須塩原市といわき市のADR和解申し入れの取り組みの交流を依頼されていたので、仲介役で行ってきた。

 ちょっとお浚いをすると、那須塩原市中心の、原発事故による放射能汚染被害のADRへの賠償を求める和解申し入れは、大田原市や那須町を含めて22万人ほどのところで、7300人の申し込みを受け付けた。住民運動としては大きな広がりを持っている。

 一方いわき市を中心として、同様の取り組みをしたが、いわき市32万人と郡山市30万人と福島市26万人の合計88万人の人口で5000人ほどの和解申し入れであった。

 そこで双方の交流をしたわけである。

 違いはいわき市の場合は、革新の議員が中心で、関係組織に呼びかけという形で取り組んだということであった。それでも多くの人が聞きつけて次々と参加したというから、関心の高さが伺える。しかしその取り組みは狭かった。市民を蚊帳の外に置いているのである。

 一方那須塩原市の方の運動は、民間の幼稚園などが連帯して協賛したり、広く呼びかけを行い、共産党系の組織も入っていたが、その”色”を出させないように気を使った。

 それと、ADRが訴訟でなく、独特の”和解申し入れ”で、個人の名前が出ない取り組みであることを何度も宣伝したので、締め切り最後の方に来て、若い人たちを中心に爆発的な広がりを見せた。PCネットでの宣伝も効果を発揮した。

 いわきの方での今後の取り組みは訴訟だというから、裁判闘争と言うことになり、住民運動からは遠ざかっていく。

 私は、ちょっと意見を言わせていただいた。
 「いわき市にいる避難者は、いわき市民から大変な批判をされている。それは同じように被害を受けながら賠償に大きな差別があるからだが、当然だと思う。怒りの背景は賠償の差別なのだから、賠償を求める運動のあり方は住民運動であるべきで、訴訟というのは違うのではないか。」と。

 那須塩原市で運動を中心的に担った人も同感であった。このことからいわきの中の運動の方向に影響が出てくれば、それはそれで大変な影響と思う。

この期に及んでも自己保身 

 町の議会には私の同級生が3人いる。一番最近議員になった同級生は議長になった。まだ議員として何もしていないのに、こいつは一体何のために議員になったんだ? と疑問に思うのは私だけではない。

 楢葉町一歩会が「一人の子供も犠牲にしない」ために様々な活動をしてきたが、その際にも「協力を・・・」と要請したことがあるが、「議長だから」と、余所行きの言葉で断られた。

 前にも書いたが商工会も「個人的には賛成だが、団体としては協力できない。」と言われた。しかし、個人としても誰一人として協力する者はいない。

 自治会も、区長会も、個人でも、ほとんどは自分には関係がないという対応にしかならない。

 こういう人たちは、一体自分の何を、どう守ろうとしているのだろう。

 今や町が消えるかどうかと言う、存亡の危機なのだ。町が存続の危機の時に議長・議員・商業・商工会・消防団・区長会・など等の役職に就いていたからと言って、何になるのか。そんなにも身分とか、初回的地位が重要なのかと呆れる。

 あまり好きな言葉ではないが、こういう連中と言うのはバカなのである。町がなくても自分の役職が大事なのである。いや、町はなくならないで、自分もその役職に就けば守られると、何となく根拠のない想いにとらわれているとしか思えない。

 その人たちに申し上げたい「どうぞその役職に縋って、自分だけが幸せになれる道を歩んでください。」と。

 その間に町の子供は消え、町の存在は風前のともしびになっていますよ、と。

ぽつぽつと加入一歩会 

 楢葉町一歩会(以下一歩会)の広がりが難しい局面になっていることを書いている。

 今回は、仮設住宅14か所の中にある自治会に焦点を当てて協力要請をしようと、一歩会の会長には仕事を休んでもらい自治会長のところに出向いた。ただし残念ながら会長は不在であった。(何で在宅を確かめないのか、というと、個人情報でそれを確かめる方が今は難しい。)

 それで資料と名刺を置いてきた。興味があるならば連絡が来るはず、との勝手な想像である。

 それで、予定が大きくい空いてしまったので、仮設住宅などに雑談をしに出かけた。

 そうしたら、そこの仮設には会津にある仮設の自治会長がたまたま来ていて、会津仮設に配布するビラを持って行っていただいた。ついでに会員に登録する呼びかけの加入書も持参して頂いた。

 もう一つおまけがついて、別の仮設からは「6~7人が一歩会に加入したい」との申し入れが舞い込んだ。

 一歩会の第2号のチラシは仮設住宅のほとんどに回って行ったので、反応があったわけである。

 犬も歩けば棒にあたる。小さな棒でも歩かなければ当たらないのもまた事実なのである。

区長会が難しいなら自治会に挑戦。 

 旧警戒区域の自治体は今はそのすべてが避難していて、多くの住民は仮設住宅に住み、若い人たちを中心の借り上げ住宅などの家の住んでいる。

 楢葉町は仮設住宅が14か所に作られて、多くの住民が住んでいる。

 区長会と言うのは、以前住んでいた住居ごと(大字)を区切って組織されているもので、今は形はあるけれど、実質的には旧住所のくくりでの集まりはなく、名目的な存在である。

 今はいわゆる仮設住宅ごとの自治会が重要な枠割を果たしており、区長よりも自治会に協力してもらえなければ、あまり意味はないということも言えるわけである。

 そこで、明日、その自治会の会長のところに一歩会への協力を要請してみようと思う。ダメでもともとと言うことだ。

町から離れる人心 

 楢葉町一歩会の宣伝とか協力に努めている。しかし、なかなか広まらない。難しい局面だと思う。

 一歩会の運動に、賠償金問題は入れないし、触れていない。だがしかし、今楢葉町で何らかの行動を起こすと「賠償金が欲しいのか」という批判が付きまとう。そういう批判は織り込み済みなのだが、やっぱり嫌なものである。

 人心が荒んでいる。賠償金が入って、傲慢になっていくのを見るにつけて、やるせなくなり、良き楢葉町の想いは、金によって荒らされているのは辛い。

 子供を守る運動に協力して、と叫ぼうと、むなしい反応が多い。ほとんどの人たちは、自分のことに精いっぱいで、私たちの働きかけは「賛成」というが、だからと言って、協力するということではなく、今は楢葉町から人心が離れ、町の将来や子供の将来を考えるというには遅すぎるのだろうか。

 家を作ることと賠償金の額、避難年数と賠償金の額がリンクしているので、家を建てなければ受け取れない賠償制度のために、多くの町民が家を建て、(いわき市などに・・・)出来るだけ避難を長引かせて賠償金を増やすことにしか展望はなく。人々は心を腐らせている。やりきれない。

 ここは一生懸命に考え悩み、どういう手があるのか暫し黙考するしかない。

延びる帰町宣言に対処。 

 楢葉町の帰町宣言を出すタイミングが、頭書の4月から7月に先延ばしされた。国の方針である。

 その間4月から6月末まで町民に自分の家に居住をさせるという、つまり、帰町予行演習である。

 帰還させるのには人的な準備が欠かせないというのは、大半が一致するところで、その準備と言うところ。

 私は、放射能汚染が高いところへ子どもが帰らせられることを防ぐために、それまでの間に何か行動はできないか、様々に検討してみた。

 一番効果的なことは、町民決起集会的なイベントを開催できるかどうかであるが、もしこれが可能ならば、マスコミは大いに乗って来るだろうし、宣伝効果は抜群に良いのだが、しかし、私たちだけでこれをやるには無理がある、強引に進んでしまって、失敗は許されないのである。

 今まで様々な方面に協力要請をしてきたが、それに応えたのは老人クラブ連合会だけである。商工会は以前にも書いたが、東京電力が中にいて潰された。区長会は会長が逃げ回り、とうとう会うことさえできなかった。そういう様々な団体の協力があって出来ることである。

 それで、暫く会員の募集などを取り組んで、その他団体にも呼びかけを行って、7月頃まで体制が出来るかどうか、その努力をして、多分7月には町長が帰還時期を示すだろうから、その帰還を見て戦術を決めねばならないということにした。

 ここは柔軟さを保ちながら戦術を立てねば、と思うのである。

安全か危険かの論争の狭間に位置する多くの人々。 

 放射能の危険性問題で安全を強調する政府側学者、それに対して、危険性を強調する原発反対の人々。

 原発事故から4年が経過してもなおその論争には決着はついていない。

 しかしここ1年ほどは、その論争がいかに不毛なことなのかが徐々に明らかになりつつある。

 私が思うに、政府側についている学者たちは、「安全だ」という主張に対して、どういう反論が出てくるかは織り込み済みなので、論点をごまかす巧みな話をする。技術的な本論は”待ってました”てきな対応になっている。何ともやりきれない。

 「安全だ」というサイドを、ポジティブととらえる。逆に「危険だ」というサイドをネガティブととらえる。

 私が思うに、その論争についていけない人たちにとっては、そのどちらも”上から目線”の主張に映っているのではないだろうか。その不毛な論争が永遠と続いて行ったら、それを聞いている多くの人たちはたまらないわけである。

 もういい加減にその不毛な論争には、原発反対の方から終止符を打ってほしいと思う。この議論に結論がないのだから・・・

 そうして、国の挑発・術中にはまらず、何だかわからないが不安を漠然と抱いている多くの人たちに、どう答える問題提起をするのか、そんなことを考えてほしいと思うのである。

 政府側委員・学者に「あなたたちの言っていることはよくわからない。そんなことをいくら言っても多くの人たちの不安は一向になくならないのだけれど、どうしたらいいのか・・・」と。「安全などという主張よりも対策が今は必要なのだ、」と。
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