スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

昨日楢葉町に要望書を提出しました。 

  午後2時から、いわき市にある楢葉町の臨時出張所にメンバー5人で出向いて、この間纏めてきた要望書を提出した。

  メンバーがマスコミ対策を丹念にしてくれたので、テレビ局2社、新聞社が地方紙・中央紙の5社が来ていた。ニュース・新聞報道があったようである。(ようである、というのは私の住んでいるところでは、隣の県なので見れないのである。)

  要望書は、町と喧嘩をするために出したのではない。むしろ逆である。町が国と対峙しやすくする意味を持っている。楢葉町の中で、町長派とか反町長派とか言っている場合ではないのである。町民が出来る限り同じ方向に向かっていけるように、工夫をしたつもりである。

  今までの運動が、”喧嘩”と町民に映っていたものを、別の角度からの運動にしたところが今までとは違うところ。

  真の敵はどこにいるのかということでもある。町の中にはいない。国である。東京電力である。そのことを見誤ってはならない。真の敵と違うところに運動の主体を持っていくと、何も生まれない。

  今までの住民運動に対する町の対応は、たとえば、中間貯蔵施設反対の時は、町長は別に賛成でもないのに、町長選挙で敗れた相手が代表であった。政治的なにおいがプンプンなのである。要望の提出の時は町長はスリッパで来て、時間もたかだか20分以内で終了したというから、まるで、喧嘩腰である。

  今回の町長の対応は打って変わって、終始和やかで、「私が考えていることと、要望の中身は読んで見た限り、同じです。」と応じた。時間も1時間30分を費やしたのである。

  この運動の特徴は、前が塞がっていないということ。町長派でも反町長派でも関係なく運動に参加できるというのが特徴である。敵は国であり東京電力であるということを忘れないということである。

  5人しか参加しなかったが、皆「良かった、今までと違う」という感想を述べていたのである。

  
スポンサーサイト

吉田調書を垣間見て思うこと。 

  公開された資料は膨大で、まだ読み切れないでいるが、一部を読んで思うことを書いてみたい。

1.「死を覚悟した。」「東日本がだめになると思った。」「相馬市で、250ミリシーベルト/毎時の予測」こんな文字が躍る緊迫した場面がある。この大半は、東電社員が吉田所長の思惑とは別に、(命令違反かどうかは別にして)福島第二原発に避 難してしまって、事故対応に必要な人員がいなくなった時点の話だが、緊迫した場面が想像できるような記述が続く。
  250ミリシーベルト/毎時が最悪の放射能放出の場合の計算をしてはじき出されているのだが、この放射線量は28時間で、そこにいる人間が100%死亡する数値である。この意味するところは、28時間になるまでは誰も死なないということではない。20時間を超すころにはもうすでに何人も亡くなり、悲劇が訪れているはずである。そう考えると、いかにあの事故が大変な事故だったのかがわかる。

2.モニターテレビがないということ。
  福島第一原発を津波が襲っていることを吉田所長は知らないでいる。私たちがテレビで目にする原発全体を俯瞰的にみるモニターテレビがないのである。それを(津波)知ったのは、NHKのテレビニュースだというから、驚きである。吉田所長が一般の人たちと認識が違わないことを証明する事案に、原子炉内の圧力を下げるために(爆発を防ぐために)ベントという放射能放出作業を行うのだが、(これ自体大変なことだが)それが出来ているのかどうか確かめようがなくて、これも「NHKさんのテレビを見ていたら、ポンという蒸気が出ているのを見て、ベントができたなと、」いう認識なのである。

3.ベントをする際に、聴収者から「ベントをする際に、地域住民が避難したかどうかとか気にならなかったのですか」と問われて、「それは国や県がやることだから、(私は)あずかり知らぬこと」と断言している。もともと電力業界などはそんなものなのだが、人命を顧みないこの姿勢に、背筋が凍る思いをする。

 津波対策をすべきなのかどうか、ということについて、東京電力は10メートル以上の津波が来る試算を出しているが、防潮堤のかさ上げに対して、吉田所長が武藤などとともに「地域住民の理解を得られない」として拒否している。津波が来る2年ほど前の話である。とんだ英雄扱いである。吉田所長は会社のためだけを思って、行動したのであって、日本の危機を救うなどという意識は感じられない。くどいようだがとんでもない英雄である。

楢葉町一歩会を立ち上げました。 

  楢葉町一歩会設立の趣旨で、最後の部分で、「私たち、楢葉町一歩会は、子どもの未来を憂い、町民の未来を憂い、人の心に寄り添い、真に町の復興を目指すものである。」と締めくくっている。

  町の幹部を帰町の見本とするために、帰還の条件が整っていないところに強制的に帰すという楢葉町の復興に向けた対応は、何処かずれている。

  ここ急激に復興が実現するわけではない。長期にわたった計画が必要である。それは、第一に放射能汚染を少しでも取り除く努力である。そうして第二に、若い人に焦点を当てた様々な施策と、安全を担保することに尽きる。杖を突いた爺さんとばあさんだけに焦点を当てたような今の取り組みに未来を感じない。

  今回の楢葉町一歩会の設立には、10名ほどしか集まらなかったけれど、その主張が正しければ、展望はある。正に一歩踏み出したわけである。

  最初の取り組みでは、町に要望書を出す。(議会と町長両方)要望書に中身も、議論を重ねて13項目になった。どれも子供を守り、楢葉町の真の復興を目指すためには、忽せにはできないものばかりである。

  連休明けに楢葉町総務課と議会事務局に出向いて、町長と議長に予約を取り付けて、改めて要望書の提出をしていきたいと思う。随時報告したい。

帰還を目指す楢葉町に求めること。 

  今月の21日に、楢葉町一歩会、を立ち上げる方向で話し合いが進んでいる。

  私の原案に、いくつかの注文があって、その訂正をしているところ。

  一点目は、楢葉町への要望として、「楢葉町の帰還宣言前にやるべきこと」というところに、「帰還前だけというのはだめだから、帰還宣言後も活動をやめるべきではない」という指摘があって、前、のところを前後、と訂正した。

  二点目は、「町長だけに要望するのではなく、議会と町長は別なので、議会にも出すべきだ。」という指摘。もっともなので、これも、議会あてのものを一通準備した。

  この楢葉町一歩会の設立の趣旨は、あくまでも子供を守るということ。それが中心である。それも2~3年後の復興ではなく、もっと長期的な先を見た対策である。

  この取り組みをしていて感じたこと、それはもし、楢葉町民が20ミリシーベルト/年以下の放射能汚染地に帰った場合、その地に帰った子供・大人は本当は被害者なのだが、それが「20ミリシーベルト/年以下の汚染地で、元気に生活しています。」と宣伝されたとたんに、これから帰還するかどうかという人たちにとっては、楢葉町の町民は加害者になってしまうということなのである。

  誰が被害者で、誰が加害者か、常に分断がまかり通っている汚染地では、分からなくなってしまうという恐ろしい結果が待っているのである。

  少なくとも、自分はその動きに抵抗して、「一人の大人としての責任を果たして生きていかねば。」と心しているのである。

避難者の会を作りました。 

 13日、ここ高萩市に避難している人たちの集まりを市(生活福祉課)の主催で開催した。(私の開催要望で・・・)

 集まりには9人ほどが参加して、お茶などを飲みながら、あれやこれやと故郷のよもやま話に花を咲かせて、時間は経過したが、私から突然のように、「これからいつまで続くかも分からない避難生活なので、いつまでも市のほうに一方的にお世話になるのもどうかな、と思うので、避難者の会を作ってはどうでしょうか。」と提案してみた。

 反対者はいない、しかし、「自分がやるのは嫌だ。」というのか、反応は鈍い。でも誰も反対はできないわけなのだ。

 「新たに避難してきた人たちが、誰とも連絡が取れないのは困る。自分もそうだったので、形だけでも作っておきたいのですが。」という私の提案に、賛成しかないのは当然といえば当然なのであった。

 不肖私が代表になり、富岡町のWさんが副代表に。かくして、次の集まりは忘年会にすることに、時は12月13日。

 ついでに、来年3月に高萩市の人たちが「福島を忘れない」ということで、原発事故から4年目の節目に、神田香織の口演会(字の間違いではありません)を開催するが、そこに参加団体として名を連ねる、ということも了解を得た。

 参加者からすれば、単に避難者の人たちの集まりに来て話をしようかと思っただけなのに、あれよあれよという間に、目の回るように話が進み、何だかわからないうちに、避難者の会が出来て、私が代表に勝手になって、忘年会は決まるは、口演会への参加は決まるは、キツネに化かされたように感じたであろうことは、想像に難くないのである。

 これで避難者の会を使っていける方向ができたわけである。(まったく参加者にとってはトンだ迷惑かも・・・)でもこのことを喜んでいる人たちも結構多いのも事実なのである。

 何だか、楢葉町の一歩会は何とか結成と方向性が出てきそうだし、忙しくなり、WGでの提案、茨城県議選、そうしてメーンの子供を守る会、忙しくなっていきそうである。

原発反対派が選挙戦に勝ち抜く難しさ。 

  日本全体が右傾化していて、以前は右寄りと言われていた人たちが、いつの間にか左のほうに位置しているという。

  多数を選ぶ選挙ならば、多少は主張に左寄りの特殊性があっても20人中の1人くらいに入れる可能性はある。だが、国政選挙や一人を選ぶ地方選挙などでは、大概が自民党が勝利してしまう。

  よく見ていくと、自民党の主張は(細かくはいろいろあるが)大筋では「生活のため、仕事のため」のことで、基地問題とか、原発の危険性の問題とか、そういう問題の争点をぼかして選挙をして、勝利してしまう。

  これまたよく見ると、自民党の政治は、地方に利益をもたらす、と言いながら、政治的には大衆収奪の政策目白押しで、労働者にとっては何一つ良いことはないのだが、有権者は「生活のことを話してくれる」候補者を選んでしまう。

  かたや、原発反対の候補者は、大体が退職者が多く、年金で不自由なく暮らしていて原発反対を唱える人が多いように思う。

  有権者からすれば、武士は食わねど高楊枝、に移る。「自分たちの生活のことなどは考えていない」と思われるのである。
生活できなくても原発に反対する、とはなかなかなりきれないのである。自分たちの仕事や生活のことを心配してくれるのは自民党だ、となってしまう。

  結果、いつも自民党の候補が勝利する。かくして、原発は廃止されることなく進んでいくのである。

  薩摩川内市が原発の再稼働を選んだ意味も、栃木県塩谷町が指定廃棄物の最終処分場の建設に反対するのも、その理由は同根だというのは、そういう意味である。

  そこに食い込まなくては、勝利はおぼつかないのである。

悩み多き賠償金。 

 賠償を求める相手(敵)は、東京電力であり国である。だから徹底して戦わなくてはならない。

 しかし、私は個人的に賠償金を自分の生活というか懐に入っていくということに、少々辟易している。

 原発事故避難による賠償の流れは、汚染度合いによっても違うが、避難解除準備区域のところの話をすれば、自宅不動産の賠償の方向性が出たところで、後は避難解除の時期だけの問題が残るのみである。(月10万円の精神的賠償)

 ある日突然家を追い出された苦しみからすれば、賠償は当然なのだが、たとえば楢葉町の帰還を巡る動きの中でも、帰還を何時にするかで、賠償金の打ち切り時期が決まるので、何か言うと「あいつは賠償金がほしいのだろう」と、お金のことが頭に出て、話にもでる。

 私は、子どもの帰還を巡る問題で、どう子供の犠牲を出させないか、という立場で常に発言するのだが、それにも様々な憶測が付きまとうのである。

 知り合いの何人かが、「賠償金で色々と人の嫌なところが見えて、家に帰るかどうか悩んでいる」という話を聞いた。

 金というのは人の気持ちの嫌なところを見せてくれる。原発の再稼働も結局は金である。

 避難者でなくてはあまり聞かないだろうことも耳に入る。こんな事故さえなかったらそんなことも知ることもなかったろうに・・・と暗澹たる気持ちになる。

 楢葉町が、帰還に向けた動きを加速させようと、役場幹部の一足先の帰還を実施するという。そんな小手先のことをやって何を考えているのか、と思う。根本的なことに何も手を付けていない。

 個人的には、もう賠償金の話はいいから、本当に子供のことや、楢葉町の未来のことを、賠償金が絡まないところで議論したいのだが。

 しかし、東電や国の犯罪を許すこともできず、賠償金問題はやっていかなくてはならないし・・・

 まったく、悩み多き賠償金問題なのである。

薩摩川内市民と、塩谷町住民に共通する思い。 

 今、原発や放射能を巡って、薩摩川内市の住民は、原発再稼働を選択し、栃木県の塩谷町では、指定廃棄物最終処分場の建設を巡って、町民を挙げての反対運動の最中である。

 それを見てみると、原発とか放射能汚染とかいう問題では、双方は全く逆の動きをしていることになる。片や反対で、片や賛成なのだから・・・

 しかし、その言い分をよく聞いていると、たとえば塩谷町の反対同盟会の指定廃棄物の処分地候補地選定の白紙撤回を求める署名の中には「「農林漁業が盛んで、菊・米・野菜・ヒノキ・釣り場の確保・尚人沢名水など等が守れなくなる」という趣旨が述べられているし、川内市の原発再稼働を巡るマスコミ映像では「食べていけなくなる」「仕事がなくなる」という報道が大半である。両方ともにそういう部分で、生活のための選択ということで共通しているということに気づく。

 塩谷町の場合、指定廃棄物の処分場建設には危険性があるということを切々と述べているが、これも、”何か”を守るためである。中心課題は経済にあり、決して人が安全に暮らすということが本文ではないのではないかと・・・

 その証拠に、今まで、塩谷町の、放射能から子供を守る会の運動には、「あまり騒ぐな!」と批判的であったのである。

 それが手のひらを返したように、「守る会も何を言ってもいいから、一緒にやってくれ」と言い始めているのである。何故かと言ったら、自分たちの生活を守るためである。

 恐らくは、薩摩川内市で選択された”原発の再稼働”も根っこは同じである。

 金よりも命を大切にする、ということではないのである。(一部の者だけ良くなるが、全体がそんなに生活が変わるわけではないのだが)

 恐らく安倍政権も、経済で人心を掌握して、その後に右翼的な政策に踏み込んでいるはずである。

 だから我々も、それを単に批判するのではなく、”人というのはそういうものなんだ”と一度腹の中に収めて運動の組み立てを考えていかなくてはならないのだろうなーと痛切に思うのである。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。