スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

保革では括れない様々な問題。 

 沖縄知事選、そうして既に終わったが福島知事選、その何れも保革という枠組みでは語れない複雑な様相を示している。

 福島は、自民党が折れて自分たちの候補を降ろして現職知事(民主)の後継候補に相乗り。沖縄は自民党が辺野古への米軍基地移設を巡って分裂、野党が移設反対の候補者を応援するという。

 更に、

栃木県の塩谷町の指定廃棄物最終処分場建設反対運動では、保革相乱れている。

 今までは反対運動とは無縁だった人たちが、様々に反対運動を展開ていて、教訓的な運動も多い。

 塩谷町を挙げての反対の決起集会で、私の知り合いの、放射能から子供を守る会の女性が、「是非集会で話してくれ」とせがまれたそうで、「今まで批判的で、子どもを守ろうという私たちのことを、批判的にしか見ていなかったのは何なのですか!」と言ったら、「兎に角、言いたいことを言ってもいいから話してくれ」とせがまれて、集会で話したら、多くの人たちから、感動と感激の言葉をもらったという。

 反対同盟の会長は保守系の議員がなり、事務局長には今年3月まで町内でお店をやっていた人が「お前が暇なのでやってくれ」と言われ引き受けたというから、”今までの反対運動の常識的なスタイル”から考えたら、とてもその範疇には入らないのである。

 まったく、今の情勢を巡って、大きな流れが出来つつあるのでは・・・と思うのである。

 今までの運動スタイルにこだわり頭が固くなり、そういった動きを見誤れば、情勢についていけなくなり、置いてきぼりを食らう羽目になるのである。頭の体操をしてこの動きに備えようではないか。 
スポンサーサイト

川内原発再稼働、地元川内市議会判断。亡国の歴史は繰り返す。 

  いま、日本はなぜ「基地」と「原発」を止められないのか(矢部宏治著)、という本を読もうとしている。

  第二次世界大戦でも結局”誰もが分かっていた”負け戦を誰も止められずに、広島、長崎の悲劇を生んだ。なぜあの戦争は止められなかったのだろうか。

  これは日本ではないが、アウシュビッツで、ナチスドイツの軍隊の10倍ものユダヤ人たちは、言われるがままに整然と整列して列車に乗り込み、言われるがままに裸になり、服を畳んで、言われるがままにガス室に入り、言われるがままに死んでいった。なぜ?抵抗しないのだろう。

  金のために原発再稼働を選択するという、川内市や周辺自治体と、鹿児島県の判断。多分事故が起きるまで止められないのだろう。

  何故か?この前ある尊敬している人と話した。「日本は個人が出てこない」「集団の中で責任逃れをする」と言っていた。「気持ちが悪い」とも・・・

  誰も原発再稼働の責任者がいない。政府も「原子力規制庁の判断に従う」と言い。原子力規制庁も「(審査に適合してると言っているだけで)安全だとは言わない。」といい。地元自治体は「国の判断に従う」という。

  茨城県高萩市は、指定廃棄物最終処分場の選定をされた場合どうするのか、という質問に、市長が「市町村長会議の推移をみて考える」という。誰も責任を取らず、誰も決定的な判断をしない。(政治的判断ともいう)

  塩谷町の指定廃棄物最終処分場反対同盟会から、栃木県内の首長・県議・市町議員宛に出した、”進言”の中に、「皆さんが栃木県に最終処分場は作らせないという、一大決心をし、国に発信すべきではないでしょうか、私たち県民はそのような英断をしていただくために、皆さんを県議会議員、市町村長、市町村議会議員として選んでいます。」というくだりがある。

  原発を再稼働したいというならば、そういう英断をするべきなのだあろうが、誰も英断をせずに、こういう自殺行為に等しい原発の再稼働はすすんでいくのである。人は歴史からは学ばない。すっかり福島原発事故は忘れ去られ、歴史は繰り返していく。

高萩市のこと。 

  高萩市に来てからもう半年を過ぎた。時の流れを早く感じるのは、自分の細胞の流れが遅くなっていて、速さが変わらない時間の流れに対して、早く感じるようになるのだという。つまり時が早いのではなく、自分の体内時計が遅くなっているわけである。

  まーそれは今はどうでも良くて、ここ高萩市の運動のこと。

  社会的な運動をする住民グループが、放射能からこどもを守りたい、というグループと、高萩市の市民を放射能から守る会、というグループがあって、子どもを守りたい、のグループは、いわゆる保護者といわれる人たちが誰もいなくて、おじさん夫婦が、難しい、”質の高い”と思っている運動を勝手にやっていて、誰も中に入れない状況で、私は市民を放射能から守る会、のグループに連絡をして、少しだけ関わっている。

  甲状腺検査を巡って、(高萩市は一度だけ市民向けの検査を実施した)市は、今後はやらない、と明言していて、そのことを巡って、申し入れを出したりして、市とバトルを繰り返している。

  もう一つ、指定廃棄物の最終処分場を巡って、茨城県はまだ、処分場建設の候補地が(2回目の)公表されておらず、市民の関心も薄い。

  そのために、今高萩市が指定されたら、すんなりいってしまいそうなので、これに対しても、市に申し入れを行い、市長の対応を促しているが、ハグラカシテいる。

  市民グループは、栃木県の塩谷町に運動の交流のために行きたい、ということで、私が知り合いの矢板市の反対期成同盟会のOさんと連絡を取って、4人で交流に行ってきた。(会長には一日仕事を休んでの対応で、お世話になった。)

  メンバーは皆、刺激を受けて「勉強になった」と感想を述べていた。このことだけでも色々と書かなければならないことがあるのだが、このことは後に譲り、今は高萩市の中でも様々な動きが住民の中に出てきていて、こういう動きが東日本全体に広がっているのだなーということの報告だけにしておきたい。

今更ながら、差別に思う。 

  もうすっかり分かり切っていることだが、原発事故を巡る東電・国の対応がすべt差別で成り立っているということ。

  私が、ずっと問題と思っていることに、福島県の中通りからの自主避難者に対する対応が、冷たいということ。

  今でも心に残っていることがある。旧東和村(現在の二本松市)は、地理的には双葉郡の浪江町と接している。山の頂上が分水嶺で、そこが境になっているのだ。

  浪江町は、相馬郡の飯舘村の手前に位置している町で、放射線量は極めて高く、20キロ圏外でも帰宅困難区域に位置している。そこと接点になっている旧東和村から、3人の子供を連れて30代後半の女性が避難してきていた。

 東電の賠償は、子供一人40万円、大人は8万円、一回限りである。

  その女性は、避難から1年くらいが経過したころから、経済的にも精神的にも肉体的にも限界になり、病気がちになり、夫が待つ旧東和村に子供を連れて帰って行ったのだ。もちろん放射線が高く、子供が生活するのには、極めて危険が高い地域である。

  今頃どうしているのだろうか、時々思うのである。

  いわき市の久ノ浜町末続地区は、福島第一原発から20キロ以上30キロ圏内に位置している。事故から1年ほどが一か月10万円の精神的慰謝料が支払われたが、今は何もない。

  この末続地区は、未だ若い人たちは帰還せず、老人ばかりが多くなったという。集落は破壊されたのだが、東電はそんなことには責任を負わない。

  20キロ圏外30キロ未満の地域は、対応がまちまちで、川内村や広野町などは人口がまだ半分も帰還していない。町は崩壊している。東電は知らぬふりである。

  原発の事故から3年7か月が過ぎても、12万人以上が避難中で、統計に出ていない避難者は集約の仕様がない。そのすべてに東電は誠意のある賠償をすべきだが、ここに差別と分断が入り込み、人々の心と生活を破壊し続けているのだ。

PCが故障から復活、早速・・・ 

  どうもこのPCというやつは、困ったやつである。できることならば触りたくない代物だが、活動上致し方がないの使わざるを得ない。それで、そのPCがやっと復活したわけである。

  記念に? 楢葉町のことを現状を見て考えたい。
町にチラシが出回っている。町議会議員が名を連ねて、町民の皆さんへ、と、町民の皆さんはどう考えますか!という大見出しで、国の政策を批判している。何で議会でやらないのだろうか・・・
議員ならば議会で問題にして、その経過をチラシで訴えるというのが本来のある道ではないのか? と思うのだが、なんでもありなのか・・・

  しかし方法はどうであっても、1msv/年以下を求めることや、木戸ダムの湖底土の除染などでの、国の対応への批判は当然である。

  除染をしてもまだまだ子供が帰還できる環境には程遠いのだが、国は20msv/年以下への帰還を要求している。それも被ばく線量は自己管理である。

  原発労働者でも年1msv/年以上被ばくする人間は、僅か5%未満である。そうして、年5msv、毎時0.6msv以上の被ばくは、白血病の労災基準である。これは放射線管理業務の人間の話なのである。

  その労災基準以上の年20msvまでの被ばくを、国は、0歳の子供にも適用しようというのである。とんでもない犯罪行為である。これを殺人と言わなくて何が殺人かと、そう思うのである。

  私は以前に町長に私が考えていることを伝えたが、私ごときが個人的な対応をしても何の力にもならないので、Nさんという先輩と声掛けをして、数人を集めて、組織を作って、その組織名を使って、町に要望を伝えようと思う。

  ”来春以降”というのが町の帰還宣言のリミットである、あまり時間的な余裕というのがない。11月中21日に組織を立ち上げて、年内に町に要望を伝えるというところまでは最低もっていきたいと考えているわけである。

甲状腺がんで、ある程度分かっていることについて。 

甲状腺がんが、原発事故による放射能の影響で発生しているのか、そうでないのか、議論が喧しいが、原発事故から3年半が経過して、その辺のことがどうなのかが、ある程度は明らかになりつつあるように思う。

ことは冷静に見なくてはならない。それと同時に偏ってもいけない。そういうことを予め頭に入れて考えてみる。

1.福島で行われている甲状腺の検査で、3年が経過し、一年後から今までのガンの発見率が変わっていない。約3000人に一人の割合で甲状腺がんが発見されているという事である。福島第一原発事故による放射能汚染が、チェルノブイリの放射線量と罹患率の推移から考えて、事故から1年後に甲状腺がんが多発する汚染ではないということは、誰も否定はしない。
従って、少なくてもいま(3年半で)発見されている甲状腺がんは、放射能由来ではない、ということが否定できない。

2.甲状腺がんの場合、今まで健常者の大掛かりな調査は前例がなく、甲状腺がんの罹患率と発見率には、明らかに差がある。(100万人に1~2人という疫学上の発表は、不十分な調査である)

3.放射線被ばく量の多さによって、発病には差があるので、福島原発事故による発病は、まだかなり先になる可能性がある。

4.福島県のガンは、まだこれからの継続的な検査(6年から10年)を待たなくては、(原発事故による放射能の影響があるのかないのかは)確かなことは言えない。

さらに私は、東海村の子供たちの甲状腺がんを検査した医師から直接聞いた話しだが、「福島の検査では広がるタイプのものがあるのが気になってはいる。」ということで、これから数年は気の抜けない状況が続くと思われる。

結果、総体的には、今あらわれているガンは放射能の影響であることは考えにくいが、その影響が出てくるのは数年後であり、これからの調査を待たなくてはならない、ということになるのだろうと思う。

因みに、原発事故によって、多くの人たちが不安に陥ったが、その不安に応えるためにも検査は重要であるが、「やるならば責任を持ってやらないとならない」ということと、「途中でやめるならばむしろやらない方がいい」という事でもある。

甲状腺がんが放射能由来であるかどうか、賛否あるが、どちらに属しているか別にして、以上のことは否定が出来ないこととして、固定しつつあると思う。

茨城県の県議選、東海第二原発の再稼働を許さない闘いの中で。 

茨城県の県議会は、自民党の塊の様であるという。おのずと知れた原発再稼働の政党である。

その茨城県に、東海第二原発の再稼働を許さない、という政治団体が作られて、茨城県内の県議選の候補者を立てるために奮闘しているという。水戸市選挙区では、社民党の現水戸市議が出馬する。
もう一つ東海村選挙区(3万人定数一人)から、おぎ みえこさん、という女性が、東海第二原発の再稼働を許さない、政治団体から出馬するという。(以前からのちょっとした知り合い)

それで、どういうわけか東海村の村会議員から私に協力要請が来たのである。「〇〇さんの経験を生かして協力してほしい」と言う訳なのである。

東海第二原発の再稼働に反対と言うなら、その足元からの出馬は重要であることは論を待たない。この選挙区には、自民党の梶山衆議院議員の秘書が県会議員として存在している。

自民党の牙城でもあるが、元東海村長の村上氏も陰ながらの応援をしているというから、それなりの闘いになっていくであろうことは予測できる。しかし、厳しい。

私は、活動の中心を、那須塩原 放射能から子どもを守る会にしていて、楢葉町の帰還に向けた動きにも住民サイドから一つの問題提起が出来る組織を模索中である。そのほかにも福島県社民党の原発問題ワーキンググループのメンバーでもある。

東海村の村会議員がわざわざ私の所まで来て協力要請されたことに、無視もできず、「私のタイミングで良ければ」という前提条件込みで引き受けざるを得なかった。なんだか目まぐるしいのである。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。