スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

イスラム国に思う。(原発じゃないけど) 

アメリカが空爆を行う相手、イスラム国。アフガニスタンからシリア国内を拠点に活動範囲を広げ、その勢力にアメリカも黙っていられなくなり、両国内のイスラム国の拠点を中心に空爆を始めたというわけである。

このイスラム国の内情を調べてみたら、イギリス・フランス・アメリカ・ドイツなどの先進国と言われる国々からの流入だという。(日本や中国はいないのだろうか・・・)

それで、何故そんなにも多くの若者が、危険な闘いにわざわざ望んでいくのかを辿っていくと、経済格差の中で、貧困に喘いでいる若者が、イスラム国に加わっていて、自国の中に帰ってからも何人かはテロを繰り返すという。

困り果てた先進国は、「一端出たら帰国できないようにする」などの緊急の対策を実施するという。

この問題の背景は、イスラムではないということである。先進国と言われる国々の(資本主義の・・・)貧富の差である。その貧富の差から生まれた不満と怒りの塊である。つまり、アメリカをはじめとする先進国は、国内問題で、他国領で戦争をしているわけである。現象面だけがイスラム国との争いに見えるだけである。

先進国の貧富の差から生まれた不満や怒りは、自らの国内問題を解決しなければ、決してイスラム国を壊滅は出来ない。イスラム国というのは、現象なのである。ジハード(聖戦)といって、アメリカを中心とした資本主義の病(貧富の差の拡大)と闘っている、イスラムを、隠れ蓑にしているにすぎないのである。

付け焼き的に対策したり、空爆などという手法では、決して問題は解決しない。むしろ問題を複雑化し、次に怒りが爆発するのは、更に手におえない形にならざるを得ないのである。

私はこれを見ていて、まるで、どんどん膨らんでいく風船を割れないように、絆創膏を貼っているような行為に見えて仕方がない。膨らむという現象を根本から解決しないで、絆創膏などを貼っても、限界を超えた風船は、やがて爆発する運命である。もしかしたらそれは近づいているのかもしれない。
スポンサーサイト

事故頻発東海村の原子力施設。 

東海村には、原子力関連の研究施設が犇(ひし)めいている。
その研究施設での事故が止まらない。

使用済み核燃料の再処理の研究もしているのだと思うが、ついこの前は、その関連の研究施設からプルトニュームが漏れた。私が茨城県のニュースに触れる機会が多くなって、全国的には知られていないローカルな(全国的問題だが)事故として、しょっちゅうテレビ・新聞で報道されている。コバルト60(金属製放射性物質)や、3重水素のトリチウムや、プルトニューム、などの放出のオンパレードである。

ついに茨城県も痺れを切らせて、9月19日、原子力開発機構にトラブル続発に遺憾の想いを伝えて、厳重注意をした。

福島第一原発事故があって、今までにない世間の視線を原子力業界は感じているはずで、それでも事故が続発しているのは、もうミスや事故をどうにも止められない背景があるのである。

このニュースが全国展開すれば、国民的な批判は避けられない。だから全国的なニュースにはしないのだろう。あくまでもローカル扱いである。

今の状況を見ると、福島第一原発で頻発していた事故を思い出す。そのほとんどがローカル扱いだったのである。
大きな事故の背景には、何百件ものヒヤリとする事象があり、その中で何十件もの事故があり、そうして最後に悲劇がやってくるのである。まったくそのころと同じ茨城県の今の状況に、冷や汗が出る思いで見ているのである。

食の講演会を開きました。 

那須塩原 放射能から子どもを守る会が、(以下守る会)ソラピチミスト宇都宮のご協力を得て、阿部一理さんを講師に迎えて、食に対する講演会と言うのを開催した。

何で食の勉強なのか、という事なのだが。
守る会として、子どもを守る、ということを考えると、放射能から守るという事と同率に考えなくてはならないこととして、強い体も作ろうという事があるわけである。

子どもの(大人も)体は食べ物でできている。同時に、食べ物で健康を害する人たちと言うのは、本当に多い。アレルギー症状のほぼ全ては食品添加物に原因がある。今は、食は大企業にほぼ支配されている。ほそぼそと自家農業や無添加食品のお店での抵抗が見られる程度である。そうしてその食品の大半は世界で最もゆるい規制の食品添加物で汚染されている。

内臓疾患や、アレルギー体質になった子供たちが、放射能の汚染(低線量被爆)に耐えられるのか、はなはだ疑問なのである。

チェルノブイリ原発周辺で、第3グループ(移住の権利を持つ地域、18万ベクレル/㎡以上55万ベクレル/㎡以下、那須塩原市も該当)に住む人たちの中で、比較的に汚染が高い地域で、健康と言われる状態が、事故前の90%から大幅な低下傾向が見られ、20%以下にまで落ち込んでいるという報告があるが、この報告を聞くと、強い体を作るという視点は重要である。

被ばくした後の生活では、国内での報告例として、広島原爆の例があるが、”気を付けた生活”でむしろ長生きしているという事例が多くみられる。このことを見ても、多くの示唆を与えているように思うのである。

そういう意味でも、食の在り方について考えてみようというのは、タイムリーな企画であった。

汚染水を海に流すことに漁協だけの了解でいいのか? 

すべてが金の判断に見えてしょうがない。

東京電力が、福島第一原発の汚染水の問題を巡って、漁協に対して、「除去できないトリチウム以外の放射性物質はアルプス(放射能除去装置)で取り除くので、基準値以下(勝手に決めたもの)の汚染水を海に流させてほしい。」と要請し、何回かの議論の末に漁協が了解したという。

このことに対する私の当面の問題意識は2点ある。

まず一点目、海は日本だけの物でもなく、日本国内でも広く国民全体の物であるといこと。勿論漁協に海の汚染を許可するなどと言う権利があるわけがない、という事である。境目のない海は、世界中の海に繋がっているのである。そうして、漁民だけでなく誰しもが海を利用し、魚を釣る権利を持っている。いち漁協に判断させる問題ではないのである。
従って、国民投票が必要で、国連での各国の了解を得るという手続きも必要なのである

2点目、トリチウムについて、トリチウムは3重水素である。水なのだから、水から水は取り除けないのである。すると、海に流されていくトリチウムはどうなるか、ということ。半減期は12.3年で、影響がほぼ無くなるまでは98年もかかる計算である。

トリチウムはベータ線を放出するのだが、このベータ線は直接細胞を傷つけガン化させるというリスクは少ないと言われているが、DNAを傷つけると言われる。一度体内の有機物に取り込まれると15年くらいにわたって体内で内部被ばくを起こし続けるという。体内の水素にとって代わるわけである。

更にトリチウムは、ベータ線を放出して崩壊すると、ヘリウムという非常に安定的な、宇宙に広く存在する物質になる。トリチウムと結びついていた酸素、窒素、リンなどは、安定的な(それ自体で存在するということ)ヘリウムになったとたんに、DNAの内部にある窒素、リン、酸素と繋がっていられなくなるので、DNAの塩基配列のつながりはバラバラになるという。

さらに、母体が胎児を守る仕組みにも影響し、防護機能では、トリチウムを危険分子と認識できないために、胎児にどんどんトリチウムが取り込まれてしまうのである。

それらのことから、トリチウム汚染地では、先天的異常が1.8倍に増加したという疫学的な調査結果が知られているのである。決して海に自由に流していい物質ではないのである。

那須塩原市の放射線に思う。 

私が、一か月に一度1800文字の、避難者としての想いを書いている所の、読者の中に那須塩原市に土地を所有していて、老後に田舎暮らしを・・・と考えていたが、ガンにり患してしまい、使わなくなったので、避難者の方に安く売るので、何のとかなりませんか? と言ってきた人がいた。

結局なかなか売れずに、その人は、仲介不動産の人に、その土地の放射線を測ってもらったら、0.5マイクロシーベルト~0.6マイクロシーベルトの線量だった、と言われたという。

それで、「那須塩原市の人たちは、そんなに線量の高いところに住んでいるのですか?」と言われた。「そうです。」とははっきりは言えないが、子どもがいる家庭は除染を実施して、ある程度は数値が下がっているが、家の回りの環境的には変わらない。

私が以前那須塩原市に避難していた西那須野の中心部の、2軒となりの家は、1歳になる孫がいて除染を実施したが、放射線量は、0.2マイクロシーベルト~4マイクロシーベルト。(見取り図に記載されている)

私の知り合いは子どもがいないので、除染はしてもらえない。従って、普通に0.5~4マイクロシーベルトという数値が家の回りに存在するところに住んでいる。

鍋掛という地区で除染の仕事をした従兄の話によると、除染前の放射線の計測で最も高いところは、30マイクロシーベルトだったという。こういう実態と言うのは、避難できない人たちには辛い事実であるから、出来るだけ言いたくないし、考えたくもないのだと思う。

勿論、もっと低いところは沢山ある。むしろその方が多いかもしれない。しかし、前述したことも事実である。チェルノブイリ原発事故による放射能汚染で、被害が広がって強制移住された線量は0.6マイクロシーベルト、(セシウム137ベース)なのである。

この場は、福島第一原発から100キロ㍍以上も離れた地域である。しかし、避難前の私の家の放射線量(今は0.3~3マイクロシーベルト)なのだけれで、それよりも高いところが無数にあるのである。

この数値を「心配ないレベル」というのは、どこかからお金をもらって、”専門家”として”仕事”として言っている人くらいであろう。このレベルは、避難することをすぐさま推奨するレベルではないが、放射線管理区域として、充分に注意を払って住まなくてはならないレベルだと思うのだが、どうだろうか。

安全とは言わない。しかし結果責任は? 

原子力規制委員会の、川内原発の運転再開に関する規制基準の審査が終了し、基準に合格したという事を発表する。
田中委員長は「我々は安全だとは言いません。」とのたもうて。

政府は、「原子力規制委員会の判断に従って、運転再開を地元のご理解のもとに進める。」とのたもうた。

地元の県や自治体もまた「国の判断を元に検討する。」とのたもうのである。

つまり誰も責任を取らないと公表して原発の再稼働は進む。

もう一つ同じ動きがある。栃木県の放射能被害のことに関する有識者会議のやり方である。「この辺はチェルノブイリと比較しても、心配する汚染ではない。」「甲状腺検査をすると、心配ないものまで見つかって、過剰に不安を持ったり、治療の必要のないものまで過剰に治療をしてしまって、リスクが大きいので、(私は)迷っている。」「甲状腺のガンなどの罹患は年齢のせいだ。」と何回も、盛んに言う。しかし、「安全だ。」とは言わない。

私が住む高萩市も、栃木県の有識者会議の座長(鈴木元)が来て、講演会を開いて(聴衆20人)「この辺は大丈夫。心配ない。」を連発し、市は一度実施した市民向けの甲状腺検査を「多賀医師会(鈴木元氏のこと)の助言で、心配ない、と言われているので、次からは(検査を)実施しない。」と議会や、市民グループの質問に答えている。高萩市の80%にも及ぶ保護者の不安は見捨てられることになる。

高萩市は、多賀医師会に、判断の責任を言って、多賀医師会は「やることないとは言っていない」と責任逃れをする。蚊帳の外に置かれた市民はたまったものではあるまい。誰も責任を取らないのである。無責任時代が大手を振って歩いている。

高萩市のヨウ素131の2011年3月16日の大気中の検査結果を聞いた。16000ベクレル/㎏で、日立市は53000ベクレル/㎏だったという。心配ない、で済む値か!なにかあったらどうするのか。「何でもなくてよかった。」と言えるまでは、検査しかないのである。

高萩市、及び鈴木元氏に、「結果責任はあなた方の中ではどうなっているのですか?」と聞きたい。
ついでに原子力規制委員会にも・・・・

上三川高校で、つい調子に乗って本音で・・・ 

2日、栃木県の上三川高校と言う所に、避難所として3人が呼ばれて、私は25分の時間を与えられて話をした。聴衆は480人+先生たち。

前段に、避難者の会の中で、今回の講演の責任者(?)と、話す内容について打ち合わせをメールでした。
私→「どんな話をすればいいのか?」
責任者→「Mさんの話したいように話していただいて結構ですよ。」
私→ 「えーいいんですか?わかりました。」
と、まーそんな話をしたわけである。

それならば、と調子に乗って、言いたいことを25分の中に入れたわけである。

私の話のポイントは、
1. 原子力ムラの中でのお金の動き、を紹介し、その原子力ムラがやったこととして、① 配管に傷があっても交換する必要がない、という事を実行した。(維持基準の導入)そのことで、地震で配管破断があったのだと指摘されている。 ②定期検査を13か月に一度3か月、を24か月に一度1か月以内、に後退させた。③ 廃炉の基準を、30年から40年以上に延長。(福島第一原発は40年以上の経過原発)

2.今になって、福島第一原発が建設されたところは、泥土化しやすい場所だった、と当時の土木課長が告白している。だから原発の揺れが大きく、被害の増大につながった。

3.事故から4年半前の時点でも既に原発下請け労働者が、過酷な作業環境になっていて、ミス・事故→ その場所のチェックシートでの指導。→チェックシートが増えてチェックの仕事が忙しくなり、ミスが起きやすくなる。→ 作業時間が少なくて忙しくなるので、ミスや・小さな事故が頻発する。→ますますチェックシートが増える。→ やがて破滅に・・・そうして事故へとなっている・・・

そうして、締めの言葉に、寺田寅彦(物理学者)の話を紹介した。寺田は、大正2年の関東大震災で10万4千人が亡くなって、世間の人たちが、「未曾有の天災だ」と言うのに対して、「そうではない、過去に何度も同様の震災はあったのに、健忘症の日本では、すぐに忘れて次から次と危険な構造物を建てて、被害を大きくした。文明が発達すればするほど被害は大きくなる。このままいくと、20世紀の末か、21世紀の初めのころに再び大きな被害が起こるだろう。」と指摘して、「天災は忘れたころにやってくる」と言い残し、57歳でこの世を去った。

この言葉を紹介して終わるのである。
途中、企業の生産活動が、最近は金儲けのために行われていることを、電力会社や、一般の企業事故を通して見えてくることを話すのだから、
うーん、私から見てもこれは高校生には刺激が強いだろうなーと。
それでも言っちゃったものはシャーンメイ、というわけである。

身近な90歳の知り合いが、仮設で自殺、でショック。 

2日の夜、その事件は起きた。

前日の1日、いわき市の仮設住宅に居る90歳になるおばあさんが、私の所に、「新しい家の住所を教えて欲しい。(1か月前には会ったのに)元気なのか。」と家族のことにまで気にかけてくれた電話が来ていたのに、その僅か24時間後には自らの命を絶っていたのである。

このおばあさん、90年という人生では、戦争も経験し、子どもたちの様々な苦難も見てきたであろうに、それでも今の絶望よりはましだったのであろう。

いまにして思えば、自殺に至る前兆はあった。4か月前程に夫が仮設の中で作業していて怪我をして、それが元でなくなっていた。更にもう一つは、このおばあさんが一人になって、郡山市に家族でいた長男が、「一人にしておけない」というので、面倒を見に来ていた。

このおばあさんの性格からして、「面倒をかけたくない」という意識が強く、回りの人たちにも盛んにその話をしていたというから、そのことと、夫が居なくなったさみしさと、両方が追い詰めたのであろうことは予測できる。

長男が夕ご飯の支度を始めた、3時30分過ぎころに、一人仮設の前を乳母車を押して、すぐ近くの崖のように急峻なところを(どうしていったかは謎だが。)降りて、蔓を首に巻いて自らの命を絶ったのである。

以前の住家は、私の家の近くで、私に畑を無料で貸してくれて、何やかやと、面倒を見て頂いたり見たりしていた間柄で、今回の原発事故による避難による自殺の知らせでは、私が最もショックであった。

こんな時に改めて原発の被害の根深さ、深刻さ、甚大さを思い知らされたのである。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。