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首都圏は安心ですか? 

鉄腕ダッシュという、人気グループTOKIOの番組で、ダッシュ村の農業指導者を担当していた、三瓶明雄さんが、骨髄性白血病で亡くなって、放射能の影響が取りざたされたが、(私は個人的には確率が高いと思っているが)所謂甲状腺ではない、他の疾病が騒がれてはいない。

ドイツのデルテ・ジーデントプフ医師は、長期的に、広範囲な(首都圏も)検診を、チェルノブイリ事故の影響を調べている経験から訴えている。(7月27日東京新聞)

チェルノブイリでは、事故から数年間で白血病にかかる子どもの数が急増して、3年前に現地を訪れた際も、中枢神経系の疾患が増えていたという。

白血病は、原発事故の場合は特に注意が必要な疾病なのだが、ほとんどニュースでは聞いていない。被害が広がってから騒ぐようにならないか心配である。

広く健康調査が必要と言うその意見には、私は次の点からも同意したい。

つまり、今の放射能汚染図だけでは分からないところがある。それは事故初期の放射能の流れがあまり明らかになっていないという事。福島県のいわき市に住む小学生が、70数ミリシーベルトの被ばくをしていて、一般人の中の最大数だという。

事故当初というのは、ヨウ素131が多く流れた時期になるが、それが福島県の太平洋沿いを南下して、茨城県の日立市の北端あたりから、いったん太平洋に出て、土浦あたりに海方面からやってきている。

そのプルームは東京都まで行き、その後北上する感じで、各地を汚染しているのである。

放射能の在るなしに関わらず、原発から遠いところは防御などの意識は薄れていくので、まともにヨウ素131を吸い込んでいる人たちが相当いると思われるのである。
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立教大学の先生と話しました・・・ 

ひょんなことで知り合った立教大学のSさんと言う教授と話した。

出来るならば近づかないで生活したい職業なのだが、向こうからわざわざ高萩駅まで行くから話してくれと言うのだから、仕方がなかった。

何だか私的なことを随分話した。3時間半も話していたのだから、細かいことは忘れてしまう。

それで、その方は、私の故郷の楢葉町を随分と心配していた。「このままでは、帰還を決めた瞬間に国から
見捨てられる。」と。

私も楢葉町のことが心配でないわけはないのだが、いかんせん距離感が若干離れている。

Sさん曰く、「楢葉町がこのまま帰還すれば、他の町も同様の経過を辿ることになる。それが黙ってみていられない・・・」と。

ここまで言われれば黙ってはいられない。どこまでかは分からないが、やれることはやろうか、と思った次第なのである。

政府はいま、楢葉町を大事に扱っている。それは、楢葉町が帰還をすれば、その後の、他の町の展開が見えてくるからだろう。

恐らく、今を除けば楢葉町が求める要求が通ることは無くなる。今が最後のチャンスなのである。

近くにいない私がどこまでできるかは分からない。

若干知り合いと連絡を取ってみようかと思う。この経過はこのブログで随時知らせていきたいと思う。

栃木県北部でADR和解申し入れの広がり。 

いま、栃木県北部で、福島県との県堺を超える取り組みの象徴的な運動として、ADRへの集団的な和解申し入れ、を取り組んでいる。

幼稚園や保育園の連合会を巻き込んでいて、徐々にだけれど、広がりも見せているようである。

今回の福島第一原発の事故では、その被害は福島県内に留まらず、当然宮城県・栃木県・茨城県・群馬県・・・と及んでいることは周知の事実だが、政府・東京電力は、被害までは認めていない。(一部宮城県丸森町筆補地区への、賠償と、白石市、栃木県の県北部の表土剥ぎ除染を認めている。)それを実質的に広げようとする取り組みである。

私も、出来るだけ支援・共闘していきたい。

ただ、当初から思っていることなのだが、今回の原発事故の被害は子どもが最大の被害者であると思うのだが、純粋に今までの観念を取り払って考えてみると、農業団体も多くの被害を蒙っているのである。だが、「JAなど農民は、保守的で運動には参加しない」という呼びかける側の観念が邪魔していて、「風評被害を助長するから、静かにして・・・」と言われてしまうから、呼びかけは出来ない、となっている気がする。

呼びかける方が、農業を担っている、若い人たちはどう思っているのか分かっているのか?

黙っていれば風評被害は無くなるのか?(今は事故以前のように復活してるか?)

そうやって、呼びかける方が今までの殻を破らずに、広い取り組みは出来ない。つまりは「農民は保守的だ」と思い込む我々が、よっぽど保守的なのであることを知らないと、決して今までよりも広がる取り組みは出来ないのである。

私はそのことを、小出裕章(京都大学原子炉実験所助教)の講演会で経験した・・・

集団的自衛権に思う。 

このブログは、中心テーマが原発・放射能関連なので、その他のことはあまり深入りせずに書いているのだが、MLでも、集団的自衛権行使に反対するものが沢山流れてくるので、どうしても一度は触れておかねばならない。


以前に東京新聞の記者から、別な用事だったのだが、「集団的自衛権についてどう思うか」と聞かれ、「若年層を中心に支持が多いように見えるが、若い人たちは、軽い気持ちで支持しているけれど、だんだん戦争が身近に感じると、引いていくと思うよ。」と話した。


安倍総理は、自分の取り巻きだけから集団的自衛権の行使を求める話を聞いて、別な意見にはまったく耳を貸さず、自民党の数の力(相対的に民主党の自壊)でゴリ押し政治を続けているが、彼らが想像している以上に反発は大きいのではないかと思う。


何と言っても、安倍政権は国民世論の支持を得るというプロセスを踏んでいない。従って、国民的な支持がない状況で戦争への道を開いたことになる。何れは、徴兵制を取り入れなければ、自衛隊は今の体制さえも維持は出来ないだろうし、たとえ維持できても、自衛隊は自衛隊のままで、軍隊になることはないので、必ず徴兵制の問題は政治課題に上ってくる。


その時に、戦争が自分に迫った身近な問題として、若者が向き合わなくてはいけない事になる。


こんなごり押しで進めた集団的自衛権の行使は、国民的な合意が出来たとはとても言えないから、安倍政権が戦争への道を進もうとするならば、どうしても国民的合意は得なくてはならない課題なのである。

いつも戦争をしているアメリカであっても、ここまでのゴリ押しはしないのではないだろうか?
まして日本は、憲法の支配する社会なのだから、閣議決定などよりも、圧倒的な国民的合意形成なくして、集団的自衛権など、”絵に描いた餅”になる公算が大きいと、私は感ずるのである。

また福島第一原発からの大量放射能漏れが・・・ 

これでも、この地に子供を帰すというのであろうか。

昨年8月19日の3号機の瓦礫撤去作業で、大量に放射能が拡散したことが、今頃になって大きく報じられ、原発から20キロ以遠でも、米から基準値越えのセシウムが検出されたという記事が出た。

その放出は3.11の時の放出方向と似ていて、それよりも若干右寄りだったというい事が、SPEEDI(コンピューター拡散予測データ)で示されている。

今後、福島第一原発の廃炉作業には、1号機のカバーを外しての瓦礫の撤去作業、2.7シーベルト/毎時もの汚染の続く2号機の瓦礫撤去、廃炉作業、と次から次と続いていく、それは今後30年以上確実で、40年かかるか50年かかるか分からないのである。


今回は、前回同様に、北西方面に放射能は拡散しているが、今後の拡散がどこに行くかは誰も分からない。来春以降に帰還を目指す楢葉町に来ないという保証はない。いや来ると思った方がいい。

そんなところに小さな子供を帰せるのかという事である。
今回の様に、(今までもいつもそうだが)後から分かっても遅い。その時は、今回のコメの様に体内から放射能が検出される。人間の体も同じである。昨年の8月19日には、南相馬市でも子供は稲と同じように被ばくしたのである。稲だけが被ばくしたわけではない。

子どもを守らなくてはならない。帰宅した子供の被ばくを許してはならないと思う。いや、帰してはならない。

高萩市の運動をしている人と会いました。 

運動と言ったって、ラジオ体操の運動ではない。

原発問題、放射能汚染問題、その他医療問題、廃棄物問題、など等様々なことに取り組んでいる人たちである。

政党の思惑はどうなんだろう(はっきり言って共産党)、とか、そんな心配もあったのだが、取り越し苦労であった。

代表者のFさんは、とても広い感性を持った人で、音楽、筆字、絵画、焼き物ETC・・・と多趣味で、一方では、施設の運営もやっていて、〇〇〇〇万円で、その事業を始めており、8人の人を採用して、一時金3か月、〇〇万円以上の手取り、自らの収入を度外視した良心的なことをやっていた。面白い人であった。


それでも、活動の主体が年配者中心で、若年者が活動に参加していないのが悩みであるという。その辺はご多分に漏れない悩みを持っていた。


自分たちのやることに他から見て、近寄りがたいところがあって、その克服が出来ていないのだなーと思う。


何かに取りつかれている場合ではない。もう年数が瞬く間に通り過ぎていき、我々も年を取ればやがて死ぬ。そうすれば何も残らない。放射能に不安をぴ抱いている人たちに、真剣に、曇りのない気持ちで向き合い、信頼を得られるそういう運動をしなくてはならない。何かにこだわっている場合ではないのである。

聞いてみると、”放射能から子どもを守り隊”という組織が細々とあるらしいとのこと、何とかコンタクトをとってみたいと思う。


福島第一原発建設時の本質。 

福島原子力発電土木工事の概要、という資料の内容について知聞いている話がある。

この中に、佐伯正治という、(元)東京電力福島原子力建設事務所土木課長が、原発建設時のことを記載している。

ちょっとややこしいが、重要な点を紹介する。

まずは、建設地地盤の話しは、「OP(小名浜・海抜基準)30メートルのがけを、海抜10メートルまで切り崩し(津波・高潮を考慮して)5メートルの防波堤を設ける。」とある。切り崩したときに、26.5㍍地点から、勾配2.3%の水脈があり、それをカットしたため、水対策に300本の井戸を掘った、とある。当初から水がじゃぶじゃぶ出ていたのである。

次に、土質は「富岡層(多賀層郡)で、砂岩と泥岩で成り立っていて、泥土化しやすく工事に難儀した。」ことが報告されている。

よくよく考えてみると、あの辺は、海岸が切り立っているところなのだが、、波の浸食で海岸線は年々後退している所なのである。岩盤だったら、あんな浸食はされない。”砂岩と泥岩で泥土化しやすい”から、簡単に波の浸食をうけるわけである。

福島第一原発は、すべての原子炉は沸騰水型なので、アメリカのGE(ジェネラルエレクトリック社)制で、アメリカは地震などを考慮して原発を建設しなくても済む国である。日本はいまだに一基の原発さえも作る技術を持たない国なので、地震・津波のないアメリカから輸入するしかないわけである。

そのアメリカが、地震・津波対策などをするわけもなく、原子炉とタービン建屋は、10メートルの地盤の所に建設するのだが、最下部は海抜マイナス1,23メートルになっていて、そこのところに発電機を置いたのである。(アメリカが置いたのだろうか?)

要約すると、福島第一原発は水船状態なのである。

当時の東京電力は、地盤を心配する声に対して、「原発は強固な岩盤の上に作られている」と説明していたわけである。すごいブラックユーモア満載なのである。

ブレーキ役がアクセルを踏むと、破滅へ・・・ 

昨日の朝日新聞の一面に、原子力規制委員会の委員に9月に就任する田中 知(さとる)東京大学工学部教授が、原子力業界から報酬を(今年6月まで)受け取っていたことが報道された。


この田中 知なる人物、安倍政権が、原子力業界から、厳しすぎるという批判がある原子力規制委員会に、原発再稼働を促進するために送り込もうとしている人物である。

そもそも福島第一原発の大事故からの反省として、規制をきちんとしようということで、原子力安全・保安院も解散して、この組織に一本化したという経過があり、委員には、原子力業界との繋がりがない人物、を委員就任の条件としていたのだが、(特に報酬については、民主党政権の時の取り決めがあったが、自民党になって、見直した。)それさえも無視するというハチャメチャぶりである。


いわゆる原子力規制委員会の任務は、原発の安全審査であり、やみくもに進もうとする、原発の運転に一定のブレーキ役としての任務を負わせようとするものである。

なのに、その組織に、原発事故後も「原発は必要」と言い続けてきた人間が就任すれば、規制はあってないに等しくなるのは必至である。

つまり、ブレーキ役がアクセルを踏むのだから、運転手が脱法ハーブを吸引して車を運転するようなものである。(ちょっと違うかな・・・)田中 知は、10~12年まで原発の業界団体である、「日本原子力産業協会」の理事でもあったのだ。

もう一つ、今回のことが放送される、だいぶ前の2012年2月6日の新聞にも、田中 知が、原子力委員会(内閣府設置の組織)の委員の時に、400万円の報酬を得ていることが、報道されている。その時に「会議での発言は寄付に左右されない。」などと発言している。だれも「左右されます。」などという馬鹿はいない。だが誰が見ても左右されるのだ。

ちなみに、このときに一緒に報道された人の中に、山口 彰・大阪大教授(824万円) 山名 元・京都大教授(615万円)も報酬を得ていると出ていたので、この名前は記憶にとどめておいてほしい、こいつらは人の生き血を吸って生活している連中で、いつか規制委員の中に名前を出してくる可能性大であるから・・・・

講演の時の感想文が届きました。 

某小学校の4.5.6年生を対象に講演を依頼され、先月19日に実施してきたことは前にもふれた。

その小学校の生徒から、一人一人の感想文が届いた。
私は、「感想文を書かせるなどと言うのは、やらなくてもいいですよ。」と言ったが、校長は「学校ですから、教育という事で・・・」ということになり、私は「そうですか。」と応じるしかなかったのだが、その感想アンケートなるものが、私の手元に届いたのである。

それで、どういう訳か、6年生の一組の感想が、皆似ているのであるが、「永遠はないと思った。」「普通の日常を大事にしたい」というのが、大半を占めた。

これは恐らく、先生の主観が入っていて、それを生徒が敏感に感じて、「先生の言うように書けば、喜ばれるのだなー」と反応したでのだな、と直感的に感じる。

何故かと言うと、私の話は原発事故による被害の悲惨さが中心で、そのことに対する感想が6年生はほとんどないのだから、どう考えても疑問符がつく感想文なのである。

こういうものは、校長の言う「政治的な発言は控えて・・・」「自治体批判はやめて・・・」という趣旨にも合致しているからである。

それはそうと、4年生・5年生・そうして6年生の別の一組は、自由に書いてくれたように感じた。それなので、私は一人一人の感想文を読み、一人一人に返事を書いた。出来るだけ、その子の書いていることに、丁寧に応えたつもりである。

今からその返事を、郵便で差し出しに行くつもりである。
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