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有識者会議、実態との乖離を実感。 

栃木県の放射能の健康影響に関する有識者会議と言うのがあって、26日に、先月発表した「健康上問題ない」という発表のシンポジュームが行われた。


だいたい50名内外の参加で、有識者会議の鈴木元座長の説明、肥満が運動不足に原因が・・・(放射能よりも心配しろと・・・)と進み、委員7名の内残りの5名の発言。参加者からの事前の質問に一つずつ答えて、残りの時間は15分くらい、一人の質問で終わり。バカみたいな内容だった。


進め方はそれくらいにして、内容に何点か感想・・・

鈴木元氏の説明で「那須塩原市ハロープラザが0.125マイクロシーベルト/毎時で、ここでも健康上問題ない」との健康評価の内容説明。
会場からの質問→ 宇大のアンケート調査で、小さな子供を持つ保護者の85%が不安を持っている。それに応えるための何らかの方向性を示せないか。例えば甲状腺検査なども・・・

この二つを考えてみると、

那須塩原市の人たちは、ハロープラザで生活しているわけではない、そんなに放射線が低いところは那須塩原市のはほとんど存在していない。だから健康調査そのものが実態をほとんど反映していないわけである。

甲状腺検査については、鈴木元座長は 「検査の性能が格段に上がって、今まで問題にもならなかったものまで分かるようになって、逆に不安を煽るとこになる。50%以上に結節が出る。そんな検査をやった方がいいのか。どう思いますか?」と答えていた。

ここに有識者会議の本音があるのだろう。普通に考えるならば、不安だったら検査をしてはっきりさせて、その説明をして不安を取り除く。予防的医学の基本だろうと思う。
有識者(鈴木元)はその基本が全くできていない。だから不安に向き合うということから、何もしないで避けようというわけである。


一般的にこの地の大半の人たちは、山から取ってくるもの、キノコ・タラの芽・白木の目など等、普通に食べている。勿論子供にも普通に食べさせている。そういう人たちと言うのが本当に多い。


有識者会議は「心配することはない」の一点張りである。このことは被害を拡大させてしまう。この一般の人たちとの大きなズレが心配なのである。
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東京都知事選に思う。 

まったく何があるか分からない。小泉純一郎は私にとっては郵政民営化問題を巡ってチャンチャンバラバラ闘った相手でもある。私の力が小泉に及ぼした影響などと言うものは、足るに足らない物だったが・・・しかし、今や反原発でいえば仲間になってしまう。まったく面白い。


舛添がりードしているという。


主要政策を見ていくと、まず原発についての対応に大きな差がみられる。
舛添は「将来は脱原発、すぐにゼロは無理。安全を確認した原発は再稼働。」といい。細川護煕は即ゼロを主張している。

これが大した違いはないように見えるが、決定的に違うのは「安全が確認された原発の再稼働」というところ。これは原発には実質的に何の制約も加えられないことになる。だから、原発推進と言いたいけれど別な言葉で言っているだけ。


次にオリンピックへの対応は、舛添が「世界一のオリンピックを目指す」で、細川は「東京と、東北の共同的なオリンピックで、自然エネルギー利用と復興を印象付ける。」


福祉・子育てなどもあるが、ここでは触れない。


原発と、オリンピックの政策を見て、これで舛添がリードというのは分からない。

東日本大震災の被災者を東京都民はすっかり忘れたのか、自分たちだけでオリンピックに盛り上がり、後ろめたさはないのだろうか。私は、細川の政策に都民の心情(後ろめたさ)も組んだ点で理があると思うのだが。

原発・オリンピックに限れば、都民の心を捉えているのは細川と思えるが、ここで邪魔が入っている。

イメージの悪いのは宇都宮健二候補である。多分「脱原発」と言いながらも、本心はどうでもよくて、自分の票が何票になるか、増えるかと言うのが最大の関心事なんだろう。
こうして宇都宮は舛添の原発推進を助けているわけであるが。それもどうでもいいのだろう。


宇都宮氏に言いたい。「日本から出て行って、どこかでやってくれー」と。


4.19小出裕章さんの講演会に向けて。 

4.19のプログラムなど、今の現状について、小出先生とメールのやりとりをした。


4.19当日のプログラムは、1時開場、1時30分開演で、4時ころを終了の目途。

具体的なプログラムは当初予定とは変えざるを得なかった部分があったけれど、小出先生の講演(1時間10分)と質問時間20分の前に、地元の市民団体(子どもを守る会・関谷・下田野未来を考える会・那須野が原の放射能汚染を考える住民の会)からの報告を行うことになった。


実は、この種の講演会や集会では、この地ではせいぜい300名くらい集めるのが精一杯と言う。

しかし、今回は前例のない1000名を目標にしている。何と言っても1450名収容の会場を既に抑えてしまったのである。


そのためにやることが大変なのである。でも挑戦。


まずはこの地のあらゆる団体に協力を要請する。PTA・商工会・旅館組合・JA農協団体・数多くの労働組合(東電労組は抜いて)・行政(既に那須塩原市・那須町・大田原市・矢板市・塩谷町からは後援を頂いている)・行政の回覧・私立保育所・幼稚園・ETC・・・)これから気が付くところすべてに要請。


結構遠くからも行きたいという要望があるので、近隣に限らず広く要請して、少しでも1000名に近づけたい。


4.19当日は、終了後に交流会を予定している。

小出先生は、「白河市の団体から夜誘いを受けているが行ってもいいか」という問い合わせに、私は断固として拒否権を行使して、「この地で頑張っている人たちとの交流を優先してほしい」ということで小出先生からは了解を頂いた。


今はまだタイムスケジュールはアバウトなものだが、徐々に近づいていくに従って、細かに具体的にして、着実に取り組んでいきたい。


この記事に触れた方も、近隣の方は是非ご参加を・・・参加費は無料です。

原発再稼働の動きと辺野古移設。 

原子力規制委員会に対して安全審査を申請していた、全国10基の原発の審査結果が、1基については、早ければ今春にも出されるという。

その後今年中には次々と原発の再稼働がされる見通しがついてきているという。


国民の6割以上が原発再稼働に反対している。しかし政府自民党は、そんな事とは関係なく再稼働は押し進め、加えて、原発の建設も島根原発3号機と、青森県東通原発建設の2か所は、「新規増設ではないから進める」と言明している。


東京の知事選も、安全、と お金の争いになっていく。


「500億円くれるから、辺野古に米軍基地の移設を認めろ!」と、名護市で石破は絶叫した。


行ってみると分かるけれど、青森県の東通村あたりは、本当に寒風吹きさらす自然に満ちた、”何もないところ”である。「原発交付金をくれるから。仕事もやるから原発に協力しろ」と、経済至上主義者は絶叫した。


福島県・双葉郡はお金をもらうために、未来の子供たちからの預かりものの自然を、故郷を破壊した。


名護市の市民は、あからさまな金銭攻撃の前に、「未来の子供たちからの預かりものを引き継ぎたい」と、金の受け取りを拒否した。


大地は、経済至上主義者が利用する価値観よりも、明らかに多くの価値を人々に与えてくれると信じたい。


だから、その中で生きていける方法を探して、皆で力を合わせよう! という、名護市民はその道を選んだのであろう。

少しだけ、勝利感を味わいたい。

会議の行方 

会議というよりも議論の行方とした方が分かりやすいかもしれない。


よく白黒をつける、という言葉がある。

しかし、多くの場合はその言い方の強さとか、数の多さと言うものに差があって、正しいか間違っているかとは関係がなく白黒というのがついてしまっている場合がある。まーそれでいいという見方もある。

結果正しくなかった判断をしてしまうと、その後間違った方向に行くことになるわけだ。


仮にだが、黄緑色と黄色の境について、どこまでが黄色で、どこまでが黄緑か、といった議論があった場合、決着がついたとしてもそれはかなり怪しいものになるわけである。(何でかと言うとそんなものにはっきりとした分け隔てがあるわけがないからである。)


0.23マイクロシーベルト/毎時が安全か危険かという科学的議論も大分議論されてきていて、今や平行線の様相を示している。果たしてこの議論に決着はつくのだろうか?危険の方が勝った!と・・・


蝶と蛾の違いは何か?という議論も今や訳が分からない。止まっているとき羽を閉じるのが蝶で、開くのが蛾、というが、開いて止まっている蝶もたくさん知られている。蛾などはまだまだ発見されていないものが沢山あるらしい。


草とはどういうものを言って、木とはどういうものを言うのか、その境は漫然として分からない。竹は木なのか草なのか、科学的な議論をしようとも結論なんかでない。


死と生の境の瞬間とは?議論がつきない。そもそも生きているとはどういう事を言っているのか。これまた議論は尽きない。


草と木の違いも、生と死の境も、蝶と蛾の違いも、黄緑と黄色の違いも元々ないのかもしれない。人間が現象を分けて表現するために、仮に名前を付けただけなのだ。何となく黄色であり、何となく黄緑なのだ。議論で決まるものではないし、決められない。元々白黒なんてないのだ。


放射能は微量であっても怖いから嫌なのだ。安全と危険の境がどこにあるかではない。少なくても普通の人はそうである。

原発も技術的なことは分からないが、放射能を漏らすし、だから怖いから反対でいいのである。

そんなことでいいのかって? それでいいのだ。

福島県外の除染に線量以外の差別が。 

8日の日に那須塩原市の市長と懇談を行ったことは前のブログで触れたが、

その際に市長は「国に要求しても、ダメなものはダメで、いつまでもそんなことを言っていてもしょうがないから、市としてやるべきことをやっている。」と豪語していたという事を書いたが、今回の報道で、その裏側が垣間見えた。


今日の新聞報道によれば、自治体によって、除染費用が全額国が負担している所と、市が独自予算で負担してるところがあって、それは線量の違いでも何でもないという。


総務省は、福島県外の自治体の除染を9県131市町村に約40億円を支出したという。それが自治体間の不公平感を誘っていた。


総務省はその基準を、東日本大震災の被害額に応じて対象を絞ったというのである。つまり、線量ベースではない。

そのために、「何で同じ放射線量で、自分たちの自治体には補助がないのか?」という声が上がっていたという。


千葉県の我孫子市は、年換算で1ミリシーベルト未満なのに国から国費での除染が認められ、ここ那須塩原市はそれよりも遥かに線量が高くても、まったく補助はないのである。


阿久津市長に言いたい、「この事実を知ったうえで、国に言ってもしょうがないと言ってるんですか?」と。


総務省は「広範囲の除染は環境省が行うべきだ」と言っている。

自治体では苦しい財政の中で除染を実施しているので「何で不公平なの?」という疑問はますます高まるだろう。


那須塩原市も26年度も除染を継続する、と言っているので、言ってもしょうがない・・・ではなく、あくまで正当な要望要求を言い続けて行ってほしいものである。

もともとあまり要求・要望を言わない自治体には予算をつけなくても許されるだろう・・・という読みが政府の中にあったのかもしれないのだ。

那須塩原市長と懇談しました。 

8日の午前11時からの30分、市役所に於いて阿久津市長と、311「つながる・つたえる・そして未来へ」実行委員会として、懇談を行った。

市長の方は、市の役員と市長。私たちは実行委員長(守る会代表)以下、Wさん、関谷・下田野未来を考える会から二人、守る会から私での参加。

事前に、支援法がらみで、表土除去などの放射能対策の方向と、風評被害についての対策など2点の質問を出しておいたので、そのことに話は集中した。

実はこの間の市の取り組みについて、市当局を評価する言葉を言おうとしていたが、全然そういう機会はなかった。

というのは、市長の対応は、市民の話を聞くという姿勢がほとんどなく、一貫して「市として、十分やることはやっている。」「南相馬市もびっくりするほどやっている。」「予算も県内で最も多く使っている。」という態度で、一方的なもので、ほとんど口を挟めなかったのである。たった30分なのに・・・


途中で、「この地の子供を持つ保護者の85%が放射能に不安を抱えている。その不安に応えていく必要があるのでは。」という話しにも、
阿久津市長は「その新聞は見た。そういうことを言うのが風評被害なんだ。」とにべもなく。

「市として色々やっているというならば、もっとそれを市民レベルに浸透させればよいのでは?」というと、
阿久津市長は「周りの自治体が妬む。那須塩原市ほど他は出来ないから、言わないでとなる。だから言えない。」という話しで、あーいえばこー、こーいえばあーで、話がまったくかみ合わない感じなのだ。


まーあまり期待はしていないが、それにしても「こんなにも酷いものか」と失望してしまった。(安倍首相の靖国神社の参拝の時の、アメリカのコメントみたいだけど。)


この中で確認できたことは、26年4月以降に再除染を実施するということ、(十分予測は出来たことだが)学校等通学路で線量の高いところは26年度にやること、関谷地区の小中学校は対象であるという事。

更に、実行委員長が「放射能測定ボランティアに参加して、具体的に分かったことで、安心したと言っている。知るという事が大切なんです。」と言ったことに、市長が「前にも一回やったが、特集を組むか・・・」反応したのは、微々たることだけれど前進だったかな、と思う。

あくまでも、微々たることだが・・・

一元的民主主義という事について。 

知り合いと二人で話をしていて、頭の片隅に会った一元的民主主義と言う言葉が出てきたので、今の私の環境での一元的な民主主義ということについて、様々に考えてみた。


まず、一元的民主主義とは何かということだが、対極的な言葉に対立的民主主義と言う概念がある。

つまり、対立は利害が対立する場合の民主主義という事で、一元的とは利害が対立しない民主主義ということである。


10人の家族で家を建てようという場合、どこにどんな家を建てるかあれやこれやと検討するが、10人にとって最も条件が良い家に徐々に落ち着くまで議論すれば結果は伴う。この場合常に利害が一致していることを確認しながら議論と検討を進めていくことが重要だが、諦めなければ良い結果は得られるのである。


さて、そこで今の放射能対策を巡っての其々の組織の対応はどうかと言うと、市・県・市民グループ・有識者会議、これらの組織は、何れも内容の不十分さはあるものの、放射能の影響を何とかしたいという表向きの方向性では利害は対立していない。

つまり一元的なのである。


しかし、どうも中には市や県や有識者会議と、対立的な関係にあると思い込んでいる人たちと言うのが多いような気がする。


確かに有識者会議の話を聞いていると、どうも問題が多い。しかし、彼らも県民の健康を守るべきと言う建前は持っている。
ならばその建前をもっと一元的に扱えないだろうか、と思うのである。

例えば、「大丈夫だ、心配ないというだけでなく、〇〇には気を付けてほしい、とか言ってもらえないでしょうか。」「基準を上回る食品を食べないようにベクレル検査をしてください、とか有識者会議として言ってもらえませんか。」「㎏1000ベクレルもある食品を食べてもいいと言ってるわけではないですよね。」などという質問・提起は無視できないのではないかと思うのである。


もう一つ言えば、市・県などは、被害者であって、敵ではないという事を思えば、様々な方向性も垣間見えるような気がする。まずは相手を知ることである。

明けましておめでとうございます? 

何だかここ数年の正月と言うのは、おめでとうと、いう気分に中々なれない。

それでもこんな時でもないと、知り合いとの連絡も取らなくなってしまうので、年賀状だけはやり取りしている。


今年は、世間ではオリンピックに浮かれ、西日本の方は震災関連の被害も忘れ、原発の事故何て「そんなものがまだあるの?」てな感じにさえなっていることに、尚更”おめでとうなんていう気分にはなれないというのが正直なところ。


さてその今年のことなのだが、どうもイヤーな予感がする。
安倍の右傾化路線は多分政治の場での抵抗もなく、どんどん進んでいくのだろう。原発の再稼働は今年中には始めるだろうし、抵抗もあるが、それを押し切ることに使命を感じている安倍にとっては、既定路線・・・


更にさらに、特定秘密保護法案は、共謀罪やそそのかしや扇動の禁止を伴って、国民を暗黒へと導いていくだろうし。


もう既に、憲法違反の武器輸出3原則は韓国への弾丸供与によって破られているし、実質的な戦争が始まりつつあるともいえるのである。


そうしてこの流れは、尖閣諸島・竹島などの偶発的?な作られた事件で、一層戦争の危険は目前に迫るだろうから、政治は実質的には改憲のない憲法改悪へと突き進んで、それを国民も黙認し、自民党の戦争政策は現実味をますます増していく。


こんなことは過去日本の支配者がやってきたことである。まったく同じことが繰り返されるとしたら、こんなバカなことはないし、そんな年にしないようにただただ抵抗あるのみである。
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