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自発的な闘いの強さに思う。 

 昨日、矢板市の指定廃棄物最終処分場反対の市民同盟の緊急集会に講師を頼まれて出かけた。


 集会は今日の新聞各紙にも報道されたが、(私の講演は出ていないが)約200名の自主的な参加者であった。


 1時間ほどの参加者の課題別の討論時間を持ったのだが、(これが面白かったし、良かった。)概ね皆で頑張っていこうという方向性は示された。


 発言の中で、「会計を一人と言うのはこれだけの組織で少ないし、おかしい。」という趣旨で二人が発言していた。


 集会終了後に、反省会を開いて、私にも来てくれないか、というので参加した。


 その中で、会長が「会の運営費は非常に少なくて、東京・高萩と出かけたり、様々な会議への参加も全て自費でやっている」と私に話してくれた。


 個人的なカンパと、処分場反対の旗を一本2000円で販売してそこから800数十円の寄付カンパを入れていて、それも資金源です。と・・・


 会長曰く、「最近やっと反対運動の市民運動らしくなってきた。以前は色んなところに気を使って、言いにくいことが沢山あったけれど、今はそういうのが少なくなってきた。」とのことで、この日の緊急集会も、市長や議会人は呼ばずに、一般の人が発言しやすい環境を作ってきたという。


 会長は「議員というのは矢板市のことなど何にも考えていない。自分のことばかり考えている。あんなものなのかと思って、がっかりした。」とも言っていた。


 会には会長の他に実行委員長というのも居て、「矢板市長の痛み分け発言はまずい、この時期に言えば却って孤立の恐れもあるし、困ったものだ、今日の集会で出た意見と言うものを全部市長に届けるつもりだ。」と言っていた。


 強い組織になるかも? と感じた。政党支持も多様で、それも「俺は〇〇党の支持者だ」と自由にものを言える。毎回の反省会も笑いありで非常に雰囲気も良かった。


 強くなるかも、と感じる理由のその一つに、自分たちの故郷を守るため、子どもに矢板の自然を残すため、というはっきりした目標と、その参加を自費でやり抜くという、ボランティア精神での気高さが、何も信じられるものがない中で、確かなもの、信じられるものになっているのかもしれない。 そう感じたのである。
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吉田昌郎前所長、津波対策を拒否した過去が。 

 死人に口はないし、死人を批判することにも世間の見方は芳しくないことを承知の上で言っておかねばならぬこともある。


 私は、吉田昌郎前所長が英雄視されることに違和感を感じているのだが、今回もその続きに触れたい。


 福島第一原発事故の最大の問題は、内部・外部の全ての電源が失われたことで、原子炉を冷却する機能が失われ、原発が暴走状態になりメルトダウンに至ったことである。


 電源喪失の主たる原因は、ディーゼル発電機が津波を被って発電機としての機能を失ったことにある。


 東京電力は2002年2月に、土木学会が3.1㍍だった津波想定を5.7㍍に引き上げたときには、6号機の非常用ディーゼル発電機冷却系海水ポンプの電動機、のかさ上げを実施した。


 同じ2002年の7月には、地震調査研究推進本部が、869年の貞観津波の研究結果を出したことで、最大の津波の想定を試算したら、15.7㍍の津波が起こる可能性が判明した。


 当時は原子力立地副本部長だった武藤栄と、原子力設備管理部長だった吉田昌郎(当時福島第一原発所長)が、担当者から「防波堤を設置すれば、数百億円の費用と、工事に4年かかる」という説明をうけて、


 「防波堤を造ると、原発を守るために周辺集落を犠牲にすることになりかねないため、社会的に受け入れられない。」と発言している。「実際には津波はこない」と考えている。


 東京電力はその後土木学会に津波の再評価を依頼し、2010年8月(事故の5か月前)「福島地点津波対策ワーキング」を立ち上げた。


 この時に電動機の水密化やポンプの収納も検討されたが、実施する気配さえ見せずに3.11を迎えている。


 この経緯の中で吉田が取った対応は、原子力設備管理部長として「原発を守ろうとしたら周辺集落を犠牲にすることになり、(?)社会的に受け入れられない。」とする発言をしたことの記録である。


 何で? 原発の安全を守ることにお金をかけることが、社会的に受け入れられないのか。世間的な常識では考えられない。
 早い話が、数百億円のお金を、来るのかどうかも分からない津波の対策に使うのは嫌だから、屁理屈をつけてやらなかっただけである。こんな発言をしなっかたら、対応も変わっていた可能性がある。まったく危機感が感じられない。


 改めて思うのだが、吉田昌郎所長が事故を未然に小さくしようとしたのは、日本国民のために犠牲的にやったのか、単に会社のためだけだったのか、今となっては闇の中なのである。

指定廃棄物最終処分場はどこに? 

 栃木県内で集められている㎏/8000ベクレルを上回る高濃度汚染の放射性廃棄物の処分について、矢板市が国から突然の指定を受けて、市を挙げての反対運動が盛り上がっているのは周知の事実。


 同様の問題は茨城県の高萩市にも持ち上がっている。


 ㎏/8000ベクレル以上の放射性廃棄物が出てくると思われている県は、上記の栃木県・茨城県と千葉県、群馬県、宮城県、そうして福島県の6県である。


 このうち、国が最終処分場の場所を選定したのは栃木県と茨城県の2県である。(茨城県は県有地)


 各県の議論、取り組みの経過を見ると、県当局は概ね「国の方針やむなし」の感が強い。

 しかしそれならばどこに作る、となると「自分のところに来たら反対する」となる。

 「受け入れる」と表明した自治体は一か所もない。総論やむなし、各論絶対反対、である。


 分かりやすく言うと、受け入れるところは人身御供である。決まるわけがない。

 各県の市町村長の会議では、結論が出ないのだが、共通して出てくる意見がある。

 「福島第一原発近辺か、第二原発を廃炉にしてそこに作ってはどうか」という首長からの意見である。


 宮城県や茨城県では公然とそういう意見が出ているのである。

 環境省はそういう意見があることを認めたうえで、「福島県に要望を伝えたところ、自分の所の廃棄物も困難なのに他県の物までは受け入れられない、とい言われている。」と答えている。


 しかし福島県は中間貯蔵施設の受け入れについても、「絶対受け入れられない」と言っていたのだが、後で双葉郡内9か所の調査受け入れ表明した。
 (佐藤雄平知事は出身の会津でなく、人口密集地の中通でなく、見捨てた浜通りなのだから当然かも・・)


 因みに福島県は福島県で発生した指定廃棄物(㎏/8000ベクレル以上)の最終処分場の建設についても、「他に(県外に)持って行ってほしい」と言っている。
 
 今まで原発を推進していて、この期に及んで何を言うか、チャンチャラ可笑しいとはこのことである。佐藤雄平知事は被害者ではない加害者である。勘違いされては困る。


 他県の対応より自分勝手なのだ。(SPEEDIの情報を隠して県民を大量被ばくさせた本人)


 放射能は消せないから、薄めるか集めるかしかない。


 さーてこれからは、福島県の放射性廃棄物を全国にばら撒くために、どこの自治体で受け入れるか検討しなければならないのだ。 今から希望自治体の受付を開始したい。

政治と原発の未来を憂う。 

 社会的な矛盾は相当に深化してきていると思う。

 しかし世界がそうであるように、日本も企業の利潤は追求の手を緩めることもなく、更に経済格差は深まっていくであろうから、社会的混乱は手に負えなくなる。


 政治は根本的な格差を解決せずにその不満を吸収しようとすると、ムリに強烈な政策を打ち出したり右翼的なことをしたりやったりする。(せざるを得ない)


 反対勢力の力は分断されて有効な抵抗が出来ないと、耐え難い社会にならざるを得ないのではないだろうか。
 格差の底辺の勤労者の不満・抵抗は組織されず、散発的・局所的に起こる。

 歴史は権力の下降的な以降であると思う。


 抑圧されているものが抑圧するものに対する抵抗の”力”が歴史を前に進めるのである。歴史がそれを示している。


 原発はそういう政治的経済的状況の中にあるわけである。


 わたしは何度か東京電力と、原発の安全を巡って交渉という場に出た。

 そのたびの思うのは、地域の実権を握っているのは東京電力の”金”であるという背景の中で、何を言っても無力さを感じざるを得ない、ということである。

 
 だから安全対策などやらなくても、誰も異論を挟めないし(一部の反対派のみで)嘘がばれても何でもやりたい放題である。その結果が原発事故である。


 日本最大権力者が全面的支援をする原発。政治とともに、未来を思うと視界は限りなく見えないのである。

現状のバラバラを憂う。 

 一つひとつの組織が言っていることを聞いていると、”もっとも”な意見が多い。しかし、その組織が支持を得られない。


 今回の参議院選挙も「原発反対」を叫ぶ政党は乱立した。しかし何れも鳴かず飛ばずで、0~8議席の結果であった。


 似たような政策を掲げているのに、別々に活動している。社民党から離党して緑の党に鞍替えした阿部ともこ氏は、その後も同じようなことを言いつ続けていて、何をどうしたいのか今一つはっきりしない。


 別な政党を作っているのだから、最終的な目的は違うのだろう。しかし同じ政党の中でも別な考えが表面化して、喧嘩が絶えない政党もある。


 色々あるが、消費税反対・反原発・反TPP・反貧困で政策を統一して一緒に出来る活動はある。
 ならば、その所までは一緒に出来ないのだろうか。途中駅まで同じ列車に乗ろうというのである。
 
 そのことを達成した後は其々の究極的目標に向かって其々の政党が其々に活動すればよい。


 今回の選挙結果で言えるのは、有権者は必ずしも自民党を支持したわけではなくて、「他に任せられる政党がない」のが大半だという。


 それならば有権者がそっぽを向くような、つまらぬ少数政党を乱立させていないで、反消費税・反原発・反TPP・反貧困団結政党を作って選挙戦を闘ったらどうであろうか。


 少なくても票が分散せずに、有権者の期待も上がること請け合いである。平成の坂本竜馬が必要である。


 わたしは今、那須塩原市や矢板市などにある放射能汚染を心配して立ち上がって作られた組織の、横のつながりを作りたいと願っている。これからは難しい運動の局面がやってくる、支えあえる運動体にならないと、潰れてしまうのではないか、と余計な心配をしているのである。

民主党野田前総理、きちんと反省し離党を・・・ 

 個人的には、管直人原発事故時の総理には「彼なりに頑張った」という感想を持っていたし、2030年代に原発ゼロの民主党の方針も悪くはない。概ね良という感じであったが、ただ一つ徹底的にダメなものがあった。


 それは野田前総理である。
 
 何故か?


 いま自民党との違いを示せないのも、どこに投票すれば原発を止めさせられるのか分からないのも、野田が、自民党と何も変わらない政策を実行しようとしたからである。


 農民は当然TPPに反対である。地方はTPPを阻止できる政党を選びたい。しかし、野田はTPPを公約を破ってまで推進しようとして、山田前農水大臣と袂を分けた。だから地方のTPP反対派は民主党に期待できない。


 消費税に反対する人は多い。しかし、消費税導入を決めた野田の民主党はそれを強行した政党なのだから、民主党に投票はできない。

 まったく自民党は自分たちでやらなければならないことを野田がやってくれたのだから、漁夫の利なのである。だから余裕で改憲などと、更に右翼的なことも言える。野田が安倍に余裕を生ませた。


 原発に反対する有権者はどうか?
 原発の再稼働に反対する政党は多い。しかし少数政党の乱立である。民主党は野田が福島原発事故後の大飯原発の再稼働を決めて、福島事故の事故終息宣言をしたその人で、原発反対と言えば他の野党に大きく後れをとっている。


 今の民主党は、ある程度の組織力の票で票は集まるのだろう。しかし一般有権者の期待は、絶対に受けられない。それは自民党と政策が同じで、対抗勢力足りえないからである。


 民主党の中の、自民党に似通った人たちに(野田・前原など等)を党から追い出し、今までの自民党寄りを反省し、解党的出直しをしなければ、絶対に党勢の回復など夢である。


 しかし法則とは面白いもので、勝ちすぎた自民党が、瓦解していく動きが内部から出てくるだろうし、社会全体の経済的矛盾の激化は、安定した自民党の長期化など許すほど悠長ではないと思う。歴史は繰りかえすのである。

栃木県内45%の県民が、福島県での処分場を希望。なのに・・・ 

 除染で集めた放射性物質の8000ベクレル/㎏以上の指定廃棄物の最終処分場の設置について、栃木県内の県民の意識調査で、45%が「福島県(原発周辺)に作るのが望ましい」と思っていることが分かった。


 この調査には、49.1%の県民が”県内処理”も支持する、と答えている。


 よく内容をみていくと、県内一か所に設置するのをどう思うか?という質問に49.1%が支持すると答えているのである。
 別な質問で、「福島県内の原発周辺で処分する」という質問に対しては、45.3%の県民が支持すると回答し、支持しない、の35.7%を10%引き離している。


 私が矢板市の塩田地区の公民館で20分ほど話しをした時に、塩田地区の方から「福島県の原発周辺に処分場を造るべきだ、という意見をどう思うか?」と尋ねられて、「原発内部にあるべき放射能を、出来るだけ散らばらせるべきではない。そういう意味で私はその意見に賛成だ。」と答えた。


 栃木県の福田知事は、千葉県・宮城県・茨城県の3県が”県内処理の方向”に傾いていることで、そういう動きは「ターニングポイントになる。」と勢いついている。


 しかし、県民意識は”迷っている”というのが真意である。これからの情勢次第でどういう風にでも動く。


 そんな状況で、矢板市の遠藤市長は「県内設置なら痛み分けで、複数の市町で受け入れるべきだ」と意見を述べている。この意見は受け入れ表明である。(複数ならば受け入れてもよい」と言っているわけである。


 矢板市は市を挙げて、指定廃棄物最終処分場候補地の白紙撤回を求める矢板市民同盟、を作っている。


 市長の「複数市町での受け入れ」を表明したことは、市長独断の裏切り行為にも等しい。


 私は市民同盟としては、直ちに市長に真意をただし、抗議すべきと思う。


 市長はもともと心のどこかに「しょうがない」と思っているふしがあって、意思が薄弱だからすぐに妥協しようとする。攻める方も(国・県)それを分かっているからいつまでも白紙撤回せずに責めるのである。

原発事故で死んだ者は一人もいない? 

 東日本大震災で、福島県の、関連死で亡くなった者は1383人である。これは認定された数。

 そのうち88.4%の1223人が、南相馬市・双葉郡8ケ町村・飯舘村・田村市の、原発事故避難地域に集中している。


 大津波で被害が甚大だった岩手県389人の3.56倍で、宮城県862人の1.60倍である。


 「原発事故で亡くなったものは一人もいない」という、高市早苗自民党衆議院議員殿(以後高市氏)、に聞きたい。「何で原発事故避難地域に関連死が多いのですか?」「健康管理が問題なのですか?」と・・・


 2011、3/11の避難の混乱で、大熊町の双葉病院では40人が亡くなり、通所者が10人亡くなった。50人の人が避難しながら亡くなっている。


 昨年9月からで262人が原発事故避難区域で亡くなり、全国の68.1%を占めた。(なんで?)


 原発事故を苦にして自殺した人が12人。その中には「原発さえなければ・・」の遺書を残して自殺した酪農家や、「放射能のないお墓の中に避難します」という遺書を残して自殺した93歳のおばあさんが含まれている。


 自殺者は12人を上回っているが、証拠がない人が多い。浪江町赤宇木地区では3人の男性が自殺で亡くなっているが遺書もなく、12人の中には含まれていない。


 川俣町山木屋地区は計画的避難区域で、1300人が避難したが2年で40人が死亡した。


 大震災から2年以降に関連死で40人が全国で亡くなり、福島県では35人が亡くなっている。35人の内訳は、南相馬市・楢葉町・富岡町・大熊町・双葉町・葛尾村・飯舘村の、何れも原発事故避難区域の住民である。


 35人は2年間での転居回数平均7回で、最も多い人が16回引っ越していた。中には一時帰宅の煩雑な手続き中に時間がかかり体調を崩して亡くなった人もいた。


 高市さん、この現実を見ても「誰も死んでない」と自信を持って言えますか?


 実は矢板市の最終処分所建設予定地塩田地区の集会に参加し、その辺のことも話してきたのです。

放射線変わらず、警戒心薄れ。 

 2013年7月現在、環境中にある原発事故で放出された人口放射能、様々な核種があるだろうが、細部のことは今は分からないので、セシウムのみで見ていくと、セシウム137が100に対して、セシウム134は60位である。


 134は半減期が2年ほどなので、20年もすると1000分の一程度に減っていく。しかし137はそうはいかず、20年だと、4分の3くらいだろうか。


 だから今自然界にあるセシウムは、今までの2年数か月だと減っていくのは早かった。(事故直後は134の方が多かったため)しかし、セシウム134の割合が137の60%くらいになってくると、今の線量(シーベルト)の減り方はずーっと遅くなっていく。


 それで、今現在も放射線量が0.3マイクロシーベルトとか0.6~1マイクロシーベルトの汚染の所は、長期の警戒と対策が求められる。


 筒井雄二福島大共生システム理工学類教授が、今年1月に福島市の1690人の母親を対象に、放射能に対する意識調査をおこなった。


 その回答を見ると、
 「子供に外遊びをさせるか?」 という問いに対して、「させる」と答えた母親は22.4%いた。
                同じ問いに対して、2011年の事故直後には、8.9%だった。
                    〃    2012年には、10.7%である。


 確かに2年前からすれば、ヨウ素131はほとんどなくなり、セシウム134は半減しているのだから、全体としては減っている。

 しかし、福島市内はまだまだ放射線量は高く、放射線管理区域の0.6マイクロシーベルト/毎時を多くの地域で上回っている。とても安心できるような環境からは程遠い。


 私の知り合いに郡山市に避難している人がいて、「2年前は誰も公園で子供を遊ばせなかったのに、今では1マイクロいシーベルト/毎時もあるところで、芝生の上で子供を裸足で遊ばせている、何考えているのか。」
と言っている。


 この前矢板市の八方が原に行った知り合いが、公園になっているところで子供を遊ばせているのを見て気になって放射線を測ったら、0.6マイクロシーベルトを上回っているところがあってショックだった、と言っていた。


 因みに福島大学の筒井教授の調査では、「食品で産地を気にしてますか?」という問いに、2011年に70.8%が気にする、と答えていたのが、今年の1月には68.2%が「気にする」と答えている。こちらはほとんど変化は見られず。相変わらず内部被ばくは気になるようである。


 18歳未満の子供の甲状腺がんも、17万4千人の調査で12人がり患し+15人(陽性)が高い確率でガンと言う驚愕の結果が出ている。いまは最も気にして生活しなればならない時期なのだが・・・              

楢葉町 井出川河口から高汚染瓦礫が見つかる。 

 6/20・7/2・7・6にそれぞれ合計4個の、放射能に高濃度汚染された数センチの瓦礫が見つかったことが報じられた。


 物は、厚みが1cmの物や木片のようなものと報じられているので、比較的に軽いものである。
 そういうものが水量の少ない井出川の河口付近で4個発見されたというのである。


 一個は12ミリシーベルト/毎時の極めて高濃度の汚染で、もう一つは4.7ミリシーベルト/毎時のこれまた高汚染である。
 何故井出川河口で?


 井出川の位置は、福島第一原発から約15キロ㍍南に位置している。


 2011年3月12日の午後3時半過ぎに一号機が爆発した当時も、北に3キロ㍍に位置する双葉町役場の近くに大きな物体が落下したらしい地響きのようなものが観察されている。


 今回の井出川河口の高濃度汚染瓦礫が何故4個も見つかったのかを推察してみたい。


 川は上から下に流れる。従って川に落ちた物は基本的には下に流れる。


 相当に重ければその場に留まることもあるが、発見された4個は何れも軽量で小さく流されやすそうである。


 井出川に流れ込むところに落下した瓦礫は何度かの大雨で下流に流されて、河口付近に溜まったのである。


 そう考える方が自然だし、原発建屋の構造物が、原発の水素爆発で四方八方に散らばったのである。


 さてこうなると、散らばった瓦礫は所構わずに落ちていると考えるのが自然である。どこまで広範囲かは分からないが、少なくても15キロ南までの広範囲に、放射能に高濃度に汚染された瓦礫が散らばっているのは間違いない。12ミリシーベルト/毎時は、一時間で12ミリシーベルト被爆してしまうとんでもない物質である。ここに帰ろうとする人の危険性を憂う。

福島第一原発元所長の英雄視に違和感。 

 吉田昌郎福島第一原発元所長(58歳)が7月9日死亡したことで、様々にマスコミを賑わしている。


 まず死因は食道がんが主たる要因である。


 東京電力は「5年以内なので放射能のせいではない。」と早々と死因に関する見解を発表した。異例である。(5年後からのがん発生にどういうか注目である)


 この「5年経過以内は放射能のせいではない」という見解は、福島県内の18歳未満の甲状腺がんの発生についても福島医大が示している見解である。


 よくICRPの見解を取り入れる人たちが(学者・政治家を問わず)「放射能の影響で病気になったのではないか?」という主張に対して、「放射能の影響でガンになったという科学的証拠を示せ。」と主張しているのだが、これを証明するのは非常に困難であるという。つまり一つの事例では尚更無理なのである。


 吉田昌郎氏の食道がん死も同様である。しかし、だとしたら「放射能のせいではない」ということも同時に証明できないことになるのである。


 だから放射能の影響を誰の目にも否定できないものとして示すためには疫学調査という、たくさんの事例を追跡調査して、「今までは〇〇人に一人が癌死だったのに、100倍もの癌死が発生しているのは放射能の影響以外に考えられない」という統計的な証明をする必要があるのである。

 それは、
 放射能の影響だ、と主張する方も、放射能の影響ではない、と主張する方も同じである。


 もう一つ、吉田昌郎氏の死去で、吉田氏が日本の危機を救った英雄であるかのような報道に接することに対する違和感である。


 福島第一原発が3基のメルトダウンを起こし、日本中を恐怖に陥れた原因を人為的に作った張本人であり、当事者としてその問題点も知っていながら隠し通し、どうすれば事故が防げるかも知っていながら隠し通して、原発再稼働が論じられているのに、そういう意味でこれからの日本の本当の危機も、救えるのに救わず死んでいったのである。


 事故当時は福島第一原発の所長なのだから、現場で指揮を執るのは当たり前で、英雄でも何でもない。
 それもわざと事故を拡大する意味はないのだから、防ごうとするのは当たり前で、それも間違いと失敗だらけで事故を最小に防げずに3基のメルトダウンまで拡大させた責任は一体どこに行ったのかと思う。死んだら英雄か?


 原発からなどなんの恩恵も受けず、突然故郷から追われた身からすれば「吉田所長が英雄なんてとんでもない」と思うのでる。


 またここ栃木県の人たちだって、今なお放射能の影響は甚大でこれからの被害の深刻さを思ったら、吉田昌郎が英雄扱いなんて、とんでもないのだが・・・

ボタンの掛け違い治せない東京電力という企業。 

 東京電力という企業は、事故を反省していないし、反省出来ないから同じことを繰り返すしかない。


 柏崎・刈羽原発の再稼働を、原子力規制庁に申請するとの報道。


 東京電力によれば、「安定的な電源確保と安価な電気の供給だ」だという。

 まーこれは表向きで、誰もそれを額面通りに受け止めてはいない。

 本音は「福島原発の影響で、全原発が止まってしまい、一日・一基・一億円儲かる収入がなくなったので経営が苦しく、地元の了解など待ってたら会社が潰れてしまうので、東電を助けるために安全とかは我慢してくれ」ということにある。


 日本は東京電力に限らず、企業全体が、命よりも金儲けを優先するようになり、様々な社会的問題を起こしてきた。
 水俣病や足尾鉱毒事件に始まり、JR西日本107人死亡事故・トンネル天上板崩落事故・ボーイング787の連続故障問題・過労死問題・企業内精神疾患急増問題、ETC そういった問題の根幹にあるものは、安全や人の命よりも金儲けを優先させすぎた企業の手前勝手な論理にある。


 13か月に一度3か月、という原発の定期点検を18か月→24か月に一度に延長。
 3か月かけてた点検を1か月に短縮。
 維持基準の導入で配管にひびがあるのを承知で運転継続を認める。


 こういったことの一つひとつは、すべて1日・一基・一億円の利益を上げるために、電力会社が行ってきた”無理をしてでも運転継続をさせる”という、安全軽視の歴史である。


 その結果が福島第一原発事故であるのだから、東京電力はその反省をして、自らを安全を優先する企業風土に変えて、出直し的な変革を成し遂げてから、地元に対して「原発の運転再開をしていいですか?」と言うべきなのである。


 東京電力は、そのボタンの掛け違いに気付いていないし、改善しようとしていない。


 よくもずーずーしく地元まで無視して運転再開の申請などと言う狂気じみた行動が出来るものである、頭にくるとはこのことである。


 因みに、事故原因も分からずに運転再開したボ-イング787。

 今日常的に経営している様々な企業の経営姿勢というのも、実は東京電力と寸部違わずであることを、私たちは考えないといけないのではないだろうか。

どんな被害も世界記録の認知症日本。 

 私の知り合いが、今の原発災害の風化を嘆いて「忘却すること脱兎のごとく」と書いた。


 山林を歩いていて2度ほど野兎が飛び出してかけ去る場面に出くわしたことがある。脱兎である。脱兎は突然現れてあっという間に過ぎ去ってしまって、その辺を探しても兎を探し出すのは困難を極める。


 友人は、原発事故の放射能であれほど恐怖におののいて今なお被害に苦しむのに、今や平気で忘れ去られている現状を、「脱兎のごとく」と言ったのである。


 永年、チェルノブイリ原発被害の大きかったベラルーシに通っている、長野県松本市の市長菅谷 昭氏は、同じように、日本の汚染地で暮らしていて平気でいる人たちや、日本の現状を見て「難治性悪性反復性健忘症」と表現している。


 つまり、治りにくく、たちが悪く、同じことを繰り返す。それが”忘れる”ということだ、と言っているのである。


 あれだけ多くの人の命を奪い、生活を破壊し、今なお続く放射能の恐怖と被害。


 まだあれから2年ちょっとしかたっていないというのに。

 まだ事故の原因も分からず毎日放射能が放出して汚染水が海に流れ出ているというのに。

 今の自民党政府は。

 原発の運転再開を目論見。原発の海外輸出を声高に叫び。原発に反対するような人間の活動を制限する憲法の改悪をめざし。再び世界侵略した当時の”強い国日本”を標榜して、一般国民を戦争に駆り出そうというのに。
 戦争で2つも原爆を落とされた世界でただ一つの国だというのに。
まだ一度も戦争の反省もしていないというのに。
原発事故で国内に放射能をまき散らされて、いまだ被害進行中だというのに。
福島じゃー子供に甲状腺がんが多発して、動植物にさえ次々と異常が指摘されているというのに。

その全てを日本の中心で推奨している自民党を、その被害国民が”日本で一番人気の政党にしてしまう”。


 これをもって「難治性悪性反復性健忘症」と言い、そのスピードたるや”脱兎のごとく”なのである。
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