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避難者に冷たい福島県抗して、避難者を訪問する仕事を始めます。 

 この前、大田原市の避難者の集まりに、私たち避難者の会として「大田原市のやり方を学んでこよう」ということで、3人で出かけた。


 大田原市の避難者の会は、大田原市のボランテイアにすべておんぶしている状態であったので、私たちの活動に取り入れる難しさを感じた。


 しかし、そこに、栃木くらし応援会という、福島県から予算が執行されている、NPO団体が来ていて、「栃木県北部の避難者の家を訪問することができない、誰か手伝ってくれる人はいないだろうか」という話しがあって、自分たちの活動ともダブるので、引き受けることにした。


 それで、その打ち合わせに出かけた。


 色々活動に関する資料を渡されて、話をしていくと、「福島県が予算のことで色々言っていて、見通しがつかない」という趣旨のことを言っているのである。それで、いつからやるようになるのか分からないのである。


 私はこの仕事を、いずれやろうと思っているのだが・・・「まったく福島県というのは・・・」


 福島県が今考えているのは、県民を県内に繋ぎ止めておく、という一点である。新聞は減った人数分だけ発表するが、経済的理由から福島県に戻る人たちが絶えないのに、逆に経済的に条件が整った人たちの避難が絶えず、一か月で600人位が減り続けている。
 

 だから原発事故の加害者でもある佐藤雄平知事は、県外に避難した住民には、出来るだけ冷や飯を食わせるわけである。復興予算など金は有り余っているのに・・・


 芸能界の有名番組が福島県に行く、芸能人もいく、仮設住宅を中心に様々な物資など恩典を与える。
県外避難者には何もしない。
 この前などは、抽選だけれど、(会津地方の2泊3日の旅行)(四国巡りの無料旅)(東京有名すし店での食いたい放題と、桜井良子の講和を聞く旅)などなどが矢継ぎ早に実施されている。私が聞いていないこういった無料の行事も多数あるはずである。


 放射線が高いからと、逃げ出す県民を繋ぎ止めておくのに必死なのである。県外に避難した住民のことなどは知ったことではない、という姿勢が、栃木県内の避難者訪問というNPOの活動にも影を落としているわけである。
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放射能に対する、若い人と高齢者の認識の違い。 

 イッショウケンメイ、という字には、”一生懸命”と”一所懸命”(この場合イッショケンメイと読むが。)という二つの字があてられている。



 意味は頑張ることなのだろうが、所という字をあてる意味は、そこの土地を中心に日本人の生活が成り立っていることを示しているのだろう。


 若い人ほど、転居・変化に強い。しかし、年を重ねるごとに、転居・変化に弱くなるようである。


 放射能汚染があっても、「この土地を動けないのだから、どうせ気にしても何もできない。だから何も問題にしない。」というのが、年配者を中心に強く。経済的な理由もあるのだろうが、強い保守性に縛られているようである。


 翻って、若い人たちなど、特に母親には純粋に、子供の健康を気にして行動する人が多い。


 ここ、那須塩原市においても、放射線が高い地域の家族の中で、生活の送り方(特に地元露地物野菜などの食べ物を巡って)で、家庭内の不協和音が多いと聞く。


 よく言われる言葉で、「男は頭で考え、女は子宮で考える。」というのがある。


 言い方を変えると、男は経済的なことを中心に考えて、女は(特に母親は)命や健康を中心に考える、ということになるのではないだろうか。


 しかし、男たちよ!(私も男だけど・・・)健康や命の安全が保てないで何が経済か!と言いたいのである。


 最近の経済に対する概念も、この「会社が(土地家が)儲かるから(あるから)働いていられる(生活していられる)のだから、低賃金・劣悪労働でも文句を言わずに働け!」という論理を振り回し、そうして、こういう男の間違った観念が、社会を不景気の方向に向けているように思えて仕方がないのだが、どうだろうか。


 土地も家も、そこに人間が生活していて初めて意味がある。企業だって、何のためにあるのか。人間の幸せのためではないのか?


 人間が苦しんで(死んで)土地が残り、人間が苦しんで(死んで)企業が残るのであれば、そんなものは人間にとっては、いらないものなのである。

東京電力、組織としての嘘体質。 

 やっぱりというか、東京電力ならばそうなるだろうと思っていた。


 よりによって、国会事故調の、福島第一原発の一号機の非常用復水器が、地震によって壊れたかどうかという調査を「真っ暗で、危険で、案内もできないし・・・」等と、嘘をつき調査の邪魔をしたのである。
あろうことか何故嘘をついたかという説明も嘘だったという。


 その問題を国会で追及を受けて、広瀬社長は「(玉井俊光企画部部長の)勘違いであったし、組織としては関わっていない。」と発言したのである。



 東京電力の、国会事故調の担当をしていた東京電力玉井企画部長(責任者)は、地震で壊れた一号機の非常用復水器を、専門知識を持つ田中三彦氏に調査をされることを恐れて、邪魔をしたのであるが、
 

 ここで調査問題のお浚いを簡単にしたい。


 非常用復水器は、電源がなくても(停電でも)沸騰した蒸気が冷やされることで、もう一度炉に自動的に戻るシステムである。それがまったく機能しなくて、メルトダウンした、と見られている。
(以前にも書いたが、テルル132という1.000度以上にならないと発生しない放射線物質が、双葉郡から南相馬市にかけて12日朝に検出されている。メルトダウンは炉内が850度以上になると起こる。)


 国会事故調は、「原子炉は津波ではなく、地震によって非常用復水器が既に破壊されて、炉内の蒸気が噴き出して、メルトダウンに至った。」と見ているわけである。だから実況見分が必要だった。重要な争点になった部分なのである。


 そこで、東京電力という組織として。


 東京電力という組織が、国会事故調に対する説明の責任者の嘘を、国会で「勘違い」と言えるということは、これからも東京電力の責任者の説明は、嘘をついても社会的には「勘違い」で許されるということになる。


 因みに国会で説明した広瀬社長の説明も、すべて嘘をついても「勘違い」で責任さえも取られず許されることを意味する。


 東京電力という会社は、社長であろうと、企画部長であろうと、組織を代表する責任者が、すべてを嘘で塗り固めても、「勘違い」で許されるのである。


これはもう組織ではない。ヤクザ暴力集団である。

先細り・・・?放射能に慣れた・・・? 

 何時までも苦しいことを引きずらない、だから人間は困難があっても生きていける。


 ふむむ、と。だから原発事故も風化が進むのか・・・


 いま人々の中には、「何だ、放射能の影響も大したことはない。」という人たちが徐々に増え始めていると言えるのではないだろうか。


 各地に放射能に対する恐怖と不安から、様々な組織が雨後の竹の子のように作られた。それ自体は当然の動きである。しかし、その組織の何れもが、徐々に運動が小さく、大人しくなっているように映るのは私だけだろうか。
 その背景に、前述した様に、原発事故・放射能に対する恐怖や恐れが少なくなってきていることが、あるように思えるのである。


 私が代表をしている、避難者の会の集まりも、段々と参加者は少なくなり。放射能から子供を守る会の集まりも、徐々に一部の人たちの、専門的な集まりに限定化してきているのである。
 人間というものは何と愚かなものか・・・と。


 それは、この原発の事故というもののもつ、特殊性というものにも一因があるように思える。


 原発の複雑な構造や、放射能の多様性、そうして数値的な内容。これらのものは、多くの人を遠ざける役目を果たす。


 勢い、こういった問題に関わろうとするものは、知識人が多くなる。
 この知識人というものが実は曲者である。


 知識偏重の人が運動の中心にいると、細かな組織回しというものが面倒がって出来ないし、「参加しないやつには構うな」という傾向になりがちである。私はそういう多くの事例を見てきた。


 講演会に参加しているのも、公務員・教員などが多い。問題はどんな知識があるかではない。どんなことをするかである。多くの人を運動に巻き込むことができるかどうかである。難しい話ばかりしていても意味はないのである。

放射能は問題だが、原発は・・・ 

 福島第一原発事故以降、全国的に放射能が拡散して、どこでも放射能は嫌われ、そうして恐れられている。
そのことによって、各地に子供を放射能から守る会などを筆頭に、様々な団体が出来てきている。


 私が今住んでいる、栃木県内でもっとも放射線量が高い県北地域に入る那須塩原市にも、那須希望の砦、とか子供を放射能から守る会など、活動している。


 勿論原発に反対している組織もある。


 しかし、意外と多いのが、「放射能汚染は問題だし、何とかしなくてはいけない、だが原発の存在は必要悪ではないか。」という主張である。


 上記の那須希望の砦、という団体も、「原発そのものの存在は否定しない。放射能汚染の問題を取り組んでいく」と、代表者の大学教授は言っていると聞く。
 聞くところでは、その代表者は、大学では原発にかかわる研究をしていたと聞く。だからか、原発には反対できない・・・という。



 子供を放射能から守る会も、会としては原発反対を言わない、としているようである。それを言うと、会の結集率が悪くなることを心配しているようである。



 しかし、変な話である。というか、日本らしいのだろう。これは矛盾である。いま日本で放射能の汚染を問題にしようと思えば、原発以外に問題になることはほとんどない。放射能汚染と原発は不離一体である。


 放射能を出す原発には関わらないが、放射能には反対というなら、運動は成り立たない。
しかし、ほとんどの団体でこの自己矛盾に陥ったまま、この肝心かなめには触れないで運動しようとしている。


 誰にも異論がない運動というのは存在しないと思うし、これからの方向に行き詰まりを感じて、やがて成り立たなくならなければいいが、と心配するのである。
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