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やっぱり東京電力のやることは阿漕だ。 

 余りにも煩雑すぎる賠償請求の方法。

 私は、知り合の人たちと5軒ほどで、東京電力から事務の説明に来てもらった。

 

東京電力から指定された項目以外は基本的には書き入れる項目がない。すべてはそ


の他に理由を添えて請求するようになる。

 例えば、家に帰れば有るものが大半だが、家に行けないためにどうしても買い入れなければならない。茶碗・箸・鍋・畑の作物・布団・テレビ・レンジ・新聞・パソコン・筆記用具・メモ用紙・毛布・枕・包丁・まな板・など等まだまだいっぱいあるどうしてもなくては困るもの。そんなもの家にさえ帰れれば買う必要などない。しかし、そういうものの一切を賠償の範囲には入れていない。

 精神的な賠償。つまり慰謝料も東京電力の一方的な判断に基づいている。

 避難所は一人に一か月12万円、それ以外の人には10万円である。私は大半をそれ以外の方法、つまり個人的な努力で避難生活を送ってきた。食料は一切支給されていない(避難所は無料)着るものもそうである(避難所はほとんどが無料)住環境も最悪である。昭和47年地区の雇用促進住宅で、網戸も入れられず、シャワーもなく、エアコンも付けられなかった。親戚の家での11日間は精神的にも辛い時期である。

 それらは一切考慮されることはない。避難の状態も個々人で様々である。それをプライバシーが守られた。という判断で2万円を削られる。


賠償請求が仮払補償金以内なら返金することに・・・


あれこれと領収書を集めて、あれこれと請求してみても、一回目の仮払の100万円と二回目の仮払い(私のところは5人家族で150万円)を足した分を、賠償請求するのは大変なことである。

 中には領収書がない人、そうして使ってしまった人など相当数に上ると思う。


東京電力からの借金でお先真っ暗に・・


 つまり仮払いの補償金を使ってしまって、それも賠償請求の範囲以外に使ってしまった人は、仕事がない人など、(避難で仕事を失った人など)その金を東京電力に返すためにどうすればいいのだろうか。考えるに頭にくる。避難で生活が乱れ毎日ぐだぐだとしていて、酒ばかり飲んでいたという人は相当数にのぼる。東京電力から言えば「事前に説明してる」というだろうが、賠償基準を狭めることは、今になって分かったことであり、(日常的な生活費も大半が含まれると思っている人が大半)これは組織的な詐欺に等しいのである。

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3か月ぶりの我が家は・・・ 

 9月25日、楢葉町の第一弾の一時帰宅が実施されて、私たちがその中に入った。前回の6月13日も最初だったので、2回続いてのトップの一時帰宅である。(こんなことで一番になっても何の得もないのだけれど)

 

 8時30分ころ集合場所の広野町体育館に行ってみると、双葉町と一緒で意外と知り合いは少なかった。それでも何人かは知り合いがいて、半年ちょっとなのだけれど懐かしい感じがしたのはなぜだろうか?

 

前回の時と違うのは、私たちが到着した8時30分には既に原子力安全・保安院の担当者があれこれと注意事項を説明しており、(大した話ではないが)9時集合となっているのに、ちょっとでも遅れた人にはその大したことでもない説明さえも聞くことができなかったのである。


 前回は、二度三度に渡ってパンを支給していたが、4時間にも及ぶ一時帰宅なのに、(前回は二時間)ペットボトルの水一本のみで、食べ物の支給はなかった。


 説明の途中から隣の別会場に行き、順次放射能線量計(積算1マイクロシーベルト単位)・防護服着用・トランシーバーなどを渡され、マイクロバスで駐車場に連れて行かれ、順次自家用車で自宅に向かった。


 行く途中、舗装道路であっても周りから草が覆いかぶさり道は細くなっていた。人が住まなくなって半年ちょっとで、「あー人のいないところというのはこんな風になるのか」と、”死の街”と化した、我が故郷を目にして、思った。


 我が家に到着すると、家は元のままなのだが周りの草が、家を覆っている。直径2~3センチもの草が引っ張っても抜けない。仕方なく折って車が入れる程度に整理していざ車を家の前に駐車する。


 実質約2時間ほど家の中のものを持ち出す作業をする。妻は家の中を実によく整理しており。タンスの中などから様々な物を探すと、それを見て、長年にわたって積み上げた我が家の歴史を嫌というほど感じてしまう。

そこに単なる金でなく物でもない人の想いがある。東京電力の幹部連中にこの想いは絶対に伝わらないだろうなと思う。あいつらはちょっとした金でそれを解決しようと思っているのである。


 帰りながら見に行ったものがある。まずお墓。墓は周りに草が生い茂り草原のようで自分の家の墓は遠巻きにやっと見れた(放射能が草に多く付着しているので・・・)我が家の墓はあの大地震でも倒れていなかった。


 友人の家が地震で壊れていると聞いていたので、それを見に行った。家は傾き家に併設してある車庫は、地面から下に数メートル陥没していた。家の中にいてよく無事だったなーと、つらい思いをしている友人のことを思った。


上から目線の被ばく検査

 

 途中楢葉町の道の駅で放射能の被ばく検査をした。東京電力の社員が担当しているのだが、放射能カウンターを近づけて、「○○CRTで問題ありません。」 CRTだったかどうかも正確に覚えていない。初めて聞く単位である。私は「それはどういう単位なのか、何故ベクレル、とかシーベルトで換算して言わないのか、判断しようがないではないか」と言った。その社員は「これは放射性物質からでる線量の単位で、シーベルトやベクレルに表せません」などと言っていた。そんなことは絶対にないと思う。事実そういう単位でほかのどこでも表示しているのだから。・・・

 それについては、帰りに立ち寄った広野町の体育館でも町の職員に「誰のための検査なのか、こんな単位を理解できる一般の町民がいるのか?検査を受ける町民が理解できない単位で言うことが、住民に対する東京電力の上から目線の体質の表れだ。東京電力に言っておいてほしい」と言った。東京電力の労働者には責任はないが、その場には東京電力の社員が並んでいた。この姿勢が損害賠償のあり方にも貫かれている。

皆行ったかな? 明治公園9月19日5万人集会 

 私の最近10日間の行動を振り返ってみると、

9月18日に九州の宮崎市の県民集会にいた。1000人を超える集会で15分現地報告の時間をいただいた。社民党の福島瑞穂党首も来ていた。


その日の午前中には、原発事故で宮崎市に避難している18人の人たちの要望とか、様々な意見を伺った。母は意志が強い。


 そうしてその一週間後の17日には千葉県の市川市である。約30人の集会であったが、参加者からは「現地の本当のことがよくわかった」「現在の原発の実態や危険性についても改めて危機感を持った」など好意的な感想をいただいた。


 次の日は神奈川県藤沢市。約40人の集会であった。参加者の感想は概ね市川市と同様であった。


 そうして19日の脱原発1000万人アクションを象徴する大江健三郎さんや瀬戸内寂聴さんなど著名人が呼びかけた明治公園の5万人集会に参加した。

いや参加したというのは正確ではないかもしれない。会場から一キロ程度のJR駅に降りようとしたのだが、ホームから人が込み合っていて、駅から外に出るのに実に40分を要した。

明治公園は周りの道路まで人だかりで、結局福島の参加者のところに行きたくても行けなかった。

5メートル四方で間違いなく100人以上いた。会場の規模から主催者発表6万人というニュースだが、数えようがあるまいと思う。俳優の山本太郎君が参加していたらしい。私はちょっとだけ現場にいて(一時間くらいかなー)現場から命からがら逃げるように帰宅したのである。あのような集会は初めてであった。

原発事故損害賠償のいい加減な難しさ。 

 福島第一原発事故による避難指示から、早いもので半年が経過した。20キロから30キロ圏内の広野町では、住民に対して、「広野町で学校を再会したらどうしますか?」というアンケートに対して、64%もの人が戻らないと応えたという。

 

20キロ圏内の警戒区域にある私の町でもそんなに差はないだろう。


 福島県内の首長へのアンケートで、今後の原発行政に考えを問うた。多くの首長が原発に頼らない町作りを主張するのは当然だけれど、17%もの首長が「今後も運転と増設を続ける」と回答している。毒を食らわば皿までもなのだろうか、金の前にひれ伏す地方の姿が出ていて、物悲しい。

戻るにしても戻らないにしても何れ賠償の問題は、今後長きに渡る大きな課題になる。


 話は変わるけれど、その原発事故、今は損害賠償のニュースが喧しい。この前新聞にその全貌が載った。新聞一面に小さい文字で掲載された。賠償基準・必要書類(全ての領収書)などその内容は膨大である。

知り合いの人曰く「こんなもの見るのも嫌だ」「できるわけねーべこんなの」「弁護士でもねーと無理だ」などなどである。

私が思うに、8割くらいの人は諦めるのではないかと思う。事務を仕事にしていた人でさえかなり難しいと思う。今まで裁判に直接関わってきた人など経験者なら何とかできるかもしれない。しかし大半の避難者は、一般の農業者・漁業者・自営業者である。年配者などは仕事から解放されて数十年経っている人もいる。その割合からみたら相当数の人たちはこの事務煩雑な賠償請求を断念せざるを得ないと思う。

 

 そうなるとこれで賠償問題の解決をはかる糸口にしようという方向は、行き詰まり、むしろ逆に問題を複雑に解決困難な方向に進んでいく可能性があるのである。

 だから私は朝日新聞にそういう趣旨の投稿をした。9月15日頃の「声」の欄に掲載されると思われる。

福島第二原発再稼動の動きとは飽きれる。 

 今日は福島第一原発事故発生からもう少しで6ヶ月になろうという、9月1日である。

 我々は福島第二原発の事故による避難命令で避難した。いつの間に避難解除になっている。何がどうなったか一切の説明がない。第一原発の大事故の陰に隠れていて、黙っている。

 その福島第二原発は、第一原発の事故が完全収束もしていないし、各家の放射線がどうなのか、また放射能除染の効果がどれくらいあるのかも分からない。生活環境はどうなるか、等など考えなくてはいけない課題が山ほどあるのに、それについては何にもせずに、再稼動の動きがちらほら出ているのである。

 その一、楢葉町を警戒区域から解除して住民を帰宅させようという噂がちらほら。同様に富岡町も一部が・・・

第二原発は、楢葉町と富岡町の間にある。どちらも警戒区域である。警戒区域の中心にある第二原発を動かすには、その先にその地域の放射能の警戒という扱いを解除しなくてはならないのだろう。

 その二、政治的な動きなのだが、残念なことに県議選などのどの候補者も、脱原発といいながら、第二原発を動かさないと言わない。同じく脱原発を言ってるが、何故か悪名高き佐藤雄平知事も同様である。何れも原子力村の住民であろうか。 楢葉町の草野建設の実質オーナーである。草野孝町長。楢葉町に高レベル放射能物質の最終処分場を誘致しよう等とほざいている。(以前に同じことを言って、県や地元議会でも散々批判され、懲りたはずであったが、放射能汚染で脳に被爆したか?) 福島県の政治家たち狂っているとしか言えない。毒を食らわば皿までも。いっそのこと、全国や県内で放射能の除染をした放射能廃棄物を、双葉郡内、政治家たちの家の前や家の中に保管したら、さぞかし全国から喜ばれるであろうに。

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